「我のことは、九段様じゃなくて、九段って呼んでくれないだろうか」


神妙な表情で九段くんが切り出したのはそんなことだった。私は一瞬きょとんとしてしまったが、すぐ、苦笑して首を横に振る。


「いやいや、そういわれましても…」

「何故だ?前は、様じゃなかった!」

「うーん…」


前というのはおそらく、彼に拾われてしばらくからのことだと思う。私はまだ状況がつかめておらず、駒野家にもお世話になっていなかった。でも、今は少々状況が異なるのだ。
彼は小さくても、萩尾家の跡継ぎ。私は隣家とはいえ、関わりの深い駒野家の使用人。いくら身分制度は緩めとはいえ、私と彼とでは立場が違う。この二年の間にそれが分かるようになって、がけじめとして彼を九段様と呼ぶようになっている。千代ちゃんにだってそうだ。彼女は、私の主でお嬢様だ。


「九段様、わかってください」

「嫌だ」

「……困っちゃうなあ」


珍しく聞き分けの悪い九段くんに、本当にどうしたらいいかと悩んでしまう。彼は賢いからいつもは分かってくれるのだけれども。でも、賢いのと同じくらい頑固なのだ。自分で決めたことはそうそう覆さないし、ちゃんと彼の言い分にも筋が通っていることが多い。この幼さで、だ。


「九段様、私は使用人なんです。九段様は萩尾家の跡取りでしょう、親しく思ってくれるのは嬉しいんですけど…」

「でも、椿は駒野家の使用人で、萩尾家の使用人ではないだろう?それに椿は最初に出会ったころ使用人ではなかったし、我とぬしの間で優先されるのは最初の友人関係ではないか」


なるほど、筋が通っている。いつもは天然発言のある彼が、たまに饒舌になると太刀打ちしようがない。
今回は、私の完敗だった。


「じゃあ…九段、くん」

「うむ!」


途端に笑顔になった彼に、ああ良かったと心がほっこりしてしまうのだから、仕方がない。千代ちゃんといい、九段くんといい、私はどうにも年下に弱いらしい。


「そうだ椿。千代に持って行く鶴は何色にしよう?そうだ、この前綺麗な赤い千代紙を貰ってな、これなんかどうだろう椿」


袖を引く彼に向き直り、その手元をのぞき込む。そこにはまるで燃えるような鮮やかな紅い千代紙があった。


(――赤、)


その鮮明な色に、脳裏にぼんやりと浮かび上がる。一面の赤。赤く、暗く、鮮明に焼き付く色。それは、今朝の夢の続きか――それとも。


「椿?どうしたのだ?」

「なんでもないですよ。それより、千代紙を見せていただけますか?」


九段くんの声に、脳裏の映像を振り払う。
紅い千代紙はとても美しかった。でもどうにも、時折浮かんでくるあの赤は、好きになれないのだ。


160111



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