4 「我のことは、九段様じゃなくて、九段って呼んでくれないだろうか」 神妙な表情で九段くんが切り出したのはそんなことだった。私は一瞬きょとんとしてしまったが、すぐ、苦笑して首を横に振る。 「いやいや、そういわれましても…」 「何故だ?前は、様じゃなかった!」 「うーん…」 前というのはおそらく、彼に拾われてしばらくからのことだと思う。私はまだ状況がつかめておらず、駒野家にもお世話になっていなかった。でも、今は少々状況が異なるのだ。 彼は小さくても、萩尾家の跡継ぎ。私は隣家とはいえ、関わりの深い駒野家の使用人。いくら身分制度は緩めとはいえ、私と彼とでは立場が違う。この二年の間にそれが分かるようになって、がけじめとして彼を九段様と呼ぶようになっている。千代ちゃんにだってそうだ。彼女は、私の主でお嬢様だ。 「九段様、わかってください」 「嫌だ」 「……困っちゃうなあ」 珍しく聞き分けの悪い九段くんに、本当にどうしたらいいかと悩んでしまう。彼は賢いからいつもは分かってくれるのだけれども。でも、賢いのと同じくらい頑固なのだ。自分で決めたことはそうそう覆さないし、ちゃんと彼の言い分にも筋が通っていることが多い。この幼さで、だ。 「九段様、私は使用人なんです。九段様は萩尾家の跡取りでしょう、親しく思ってくれるのは嬉しいんですけど…」 「でも、椿は駒野家の使用人で、萩尾家の使用人ではないだろう?それに椿は最初に出会ったころ使用人ではなかったし、我とぬしの間で優先されるのは最初の友人関係ではないか」 なるほど、筋が通っている。いつもは天然発言のある彼が、たまに饒舌になると太刀打ちしようがない。 今回は、私の完敗だった。 「じゃあ…九段、くん」 「うむ!」 途端に笑顔になった彼に、ああ良かったと心がほっこりしてしまうのだから、仕方がない。千代ちゃんといい、九段くんといい、私はどうにも年下に弱いらしい。 「そうだ椿。千代に持って行く鶴は何色にしよう?そうだ、この前綺麗な赤い千代紙を貰ってな、これなんかどうだろう椿」 袖を引く彼に向き直り、その手元をのぞき込む。そこにはまるで燃えるような鮮やかな紅い千代紙があった。 (――赤、) その鮮明な色に、脳裏にぼんやりと浮かび上がる。一面の赤。赤く、暗く、鮮明に焼き付く色。それは、今朝の夢の続きか――それとも。 「椿?どうしたのだ?」 「なんでもないですよ。それより、千代紙を見せていただけますか?」 九段くんの声に、脳裏の映像を振り払う。 紅い千代紙はとても美しかった。でもどうにも、時折浮かんでくるあの赤は、好きになれないのだ。 160111 |