3 屋敷に戻ると、ちょうどお八つの時間だった。 「九段くん、ハルさん、お待たせいたしました」 すれ違う使用人の方々に会釈しつつ、玄関から九段くんのお部屋に向かう。すでになれつつある道のりである。声を掛けて部屋の戸を開くと、ちょうどハルさんがお茶を淹れに来たところだった。 ハルさんは私と、私の抱える菓子袋を見て微笑む。 「お使いご苦労様でした」 「む、その包みはもしや…!」 「ふふ、先週絶賛していらした例の店のものです。椿さんにお願いして取ってきてもらったんですよ」 ハルさんの言葉に、ぱっと九段くんが私へ顔を向けた。その瞳はきらきら輝いていて、そして視線はばっちりと私の手元に向けられている。 お八つは、修行に明け暮れる九段くんの、数少ない休息の時間なんだそうだ。早朝から夜遅くまでずっと書物と睨めっこをしている彼にとっても、とても楽しみな時間なのだと聴いている。そして食いしん坊(この数日できっと彼は食いしん坊なのだと、密かに確信を得ていた)な、九段くんにとって、私の抱える包みは宝箱にみえているらしい。 どうぞ、と包みを差し出すと、興奮で頬を上気させた九段くんが包みごと私の手を握った。 「椿、我はとても嬉しい!ここの八つ橋は実に絶品でな…椿、八つ橋は食べたことあるか?」 「ええと、はい、向こうの世界でですけど」 やはり中身は八つ橋だったのである。九段くんから包みを受け取ったハルさんが、お皿に広げたそれは、見覚えのある焼き八つ橋だった。 あ、生じゃないんだなとぼんやり思いながら九段くんに答えると、彼は目を丸くして感心したように頷いた。 「あの摩訶不思議な菓子以外にも、ここと同じような菓子があるのだな!いや、それほど八つ橋がすばらしい菓子だということかもしれないな…」 「そうですねえ、でも九段様、向こうの世界とこちらの世界は、似たような文化も多いそうじゃありませんか」 「確かにそういった伝承も多いな。むむ……なあ椿、ぬしのいた世界はこことどう違うのだ?」 カチリ。九段くんの、好奇心スイッチが入った音が聞こえたような気がした。きらきらときらめく瞳は大きく見開かれ、じいっと私を見つめている。今この瞬間はきっと、おいしい八つ橋のことも頭から消えているに違いない。 九段くんの好奇心の強さは、侮れるものではないのだ。彼がこうなると、納得するまできっと離してもらえない。これも、この数日で学んだことである。 だからちゃんと答えてあげたいのだけれど、如何せん、私の記憶は不十分である。 (ううん、なんて答えたものかなあ…) 答え倦ねていると、何を感じたのかハルさんは私をじっと見つめ、訳知り顔で九段くんに耳打ちした。 「九段様、椿さんは記憶が曖昧だとおっしゃっていたでしょう。いきなりそんなことを聞かれても、椿さんが困ってしまわれますよ。それにこうみえて、とても不安を感じているはずです。だって記憶が十分でないのですもの。九段様が椿さん立場だったらどうですか?それを、しっかり考えないと」 「む……」 咎められた九段様は、ハルさんを見上げる。それから、私に視線を戻し、目線を落とした。 「そうか…そうだな。もし椿の立場なら、我はどうしていいのかわからずに混乱していたかもしれない。こんな質問、答えられないだろうな。…我の認識不足だ、許せ、椿…」 しゅーん、と肩を落とした少年に、なんだか申し訳ない気分になってしまったのは私の方である。 確かに記憶が十分でないので、今の質問に答えるのは難しい。でも、ハルさんや九段くんの言うほど、困ったり参ったりはしていないのも事実なのだ。 「い、いや、その!九段くん顔を上げてくださいっ、私そんなに気にしてないですから!」 「でも…椿の気持ちを考えずに我は無神経なことを……」 「私大丈夫ですから、そりゃあ不安はなくないですけど…あ、ほら、はじめてじゃないですから!ね?!」 なんだか、慌てた。九段くんがしょんぼりする姿に、まるで自分が彼をいじめてるみたいだと思ってしまったのだ。しかも、彼が思い詰めるほど私は困ってはいない。むしろ九段くんに拾って貰ったから、今はのうのうとお茶しようと思っているところなのである。 どうにか寂しげな顔を止めさせたくて言葉を並び立てると、ようやく九段くんは顔を上げてくれる。 「はじめてじゃ、ない?」 「ええ、そうです。神隠し二回目だから慣れっこなんですって」 「二回目?」 「そうですよ。だからもう、そんなにがっかりした顔を…」 言い掛けて、見下ろす顔が驚きに染まっているのに気づく。私が言葉を続けるよりも早く、小さな手が私の腕を掴んだ。 「ぬし、記憶が戻ったのか?!!」 「へ……?!」 大きな声で問われて、ようやく、はっとした。それから、自分の並び立てた言葉を思い返す。 「あ…?!」 ――そうだ、神隠しは二回目。私はこの状況がはじめてでは、ない。どうして忘れていたのだろう、こんな大事なことを。 「やはり…一時的な記憶喪失なのでしょうね」 ハルさんはつぶやき、八つ橋の乗ったお皿を、静かに机へ置いた。 151115 |