ずるい人


小さな諍いは、これまでにもあった。でも基本的に私は彼に逆らおうとは思わなかったし、彼も理不尽に責めたりする人ではない。だから自然と、意見のぶつかり合いは話し合いという形で処理出来ていたのだ。


「承服できません。私は弁慶さんの部下ではありますが、妻でもあります。ちゃんと理由がなければ納得できない。全て貴方の思い通りだと、思わないでください」


血の気が引いたのは、勢いよく告げて彼に背を向けてかれである。なんてことを言ってしまったのだと、自分で恐ろしさに眩暈がした。それでも、後悔はなかった。

(でも、簡単に折れるわけにはいかないもの)

自分に言い聞かせて私は沈黙を通したのだ。今の私は彼の部下でもあり、妻でもある。偽彼女ではなく、きちんと対等に伴侶として向き合っているのだ。いつまでも、怯えて折れていたのではこの先どうしようもないではないか。

――自分のこの時の判断が間違いだとはいわない。だが、少し急いていたのかもしれない。結果的に、私は見事地雷を踏んだ。
それを身をもって知ることになるのは、それからすぐのことだった。





「弁慶さんが優しくて怖い?」


望美ちゃんの言葉に、私はがっくりとうなだれたまま肯定する。
喧嘩した翌朝、顔を合わせづらいなぁと思っていた私と彼は対照的だった。弁慶さんはとびきりの笑顔で、とんでもなく甘い台詞で接してきた。
そしてそれは、三日経過した今も未だに継続している。


「もしかして、あまりに怒り過ぎて逆に優しいのかな…」

「……否定できないね」


望美ちゃんの笑顔が引きつっている。そこは嘘でも、否定して欲しかったところである。


「そもそも、何が原因で喧嘩しちゃったの?」

「…あのね、私たちってそもそも、私ばっかり弁慶さんが好きじゃない?惚れた弱みで、一方通行なところあって」

「……うん?」


望美ちゃんは目を丸くしてきょとんとする。私はその反応を特に取り上げず、続けた。


「だからね、弁慶さんは私をお嫁さんにしてくれたけど、実際はまだ理解しあえてないっていうか、気持ちにずれがあるというか」

「え、そう…かな…?」

「私は、色々もっとゆっくりでも良かったんだ。でも弁慶さんはこうと決めたら仕事早くて。どんどん先に進んじゃって。何でも決めちゃうから、気付いたら私は恋人から奥さんになってて」

「確かに展開は早かったよね」

「それで…、今回も相談なしに決めちゃったんだよね。私が弁慶さんの補佐の仕事、辞めること」


明日からは来なくていいですから、と言った弁慶さんにびっくりした。私にとって補佐の仕事は、誇らしくやりがいのあることだったから。

(――奥さんなんだから、家で待っててください、だなんて)

妻と認めてそう扱ってくれるのは嬉しいが、暗に用無しだと言われたようにも感じた。
この時代は完全な男社会。女が対等に扱われることは殆どない。でも私たちは、元から男女の関係よりも上司部下の関係だった。軍の中で働く彼をずっと隣で見てきたのだ。今更、この時代の女性のあるべき姿にだなんて、簡単になれるわけがない。

(せめて一言、相談してほしかった。私は、彼が求めることならばどんなことでも…努力、するのに)

弁慶さんが秘密主義だということは知っている。私が我儘なのかもしれないとも思う。でも不安なのだ。未だに本当に私で良かったのかと疑う。自信がない。そんな時に仕事から外されて、思ってしまった。妻という立場に収まったのは嬉しいけれど、もしかしてその立場は体良い厄介払いに利用されているのではないかと。

望美ちゃんは、どこか困ったように笑う。そして言ったのだ。


「もう一回ちゃんと、話し合ってみたら?」





結局、その後どんなに考えても答えは出なくて。私は望美ちゃんが言った通り、気持ちのままを弁慶さんに伝えることにした。

ぽつぽつと語る私を、弁慶さんは始め驚きに目を丸くし、段々と耐える様に眉を顰めた。そして私の言葉が途切れると、切なさを噛みしめるように口を開いた。


「君は、わかっていません。僕がどれほど君に惑わされ、振り回されているのかを」

「…え?」


呆れられるかと思った。くだらない女の悩みだと、一蹴されるかと身構えてたのに。でも弁慶さんの反応は、私の想像とは全く違っていた。


「君が怒ってしまって怖くなった。君が離れてしまうのではないかと。だからとびきり優しくしたのに、それも逆効果だったみたいですね。…一体どうしたら、この気持ちは伝わりますか?」


真剣なまなざしが、私だけに注がれる。その鋭さに、熱さに、身動きが取れなくなる。


「いくら愛を囁いても、たくさん唇を重ねても、毎夜君を抱いても……足りない。もっと欲しくなる。君に、どんどん魅了されてたまらなくなるんです」


切なげに伝えられる愛の言葉に、身体中の熱が上がりながらも、その意図を掴みかねてなにも返せない。


「君のことを蔑ろにするつもりなんてちっともなかった。厄介払いなんてもっての外だ。…不安にさせていたことは、僕の落ち度です」


ぎゅ、と手を握り込まれる。彼の表情は真摯で、言葉に偽りなんて感じなかった。心からとわかる告白に、胸の奥が高鳴る。


「君がこんなにも気にするなんて思わなかった…否、そこまで気を回せなかったんです。余裕なんてない。一刻も早く君を僕のものにしてしまいたかった」

「弁慶さん…」

「君を幸せにすると、今改めて誓います。だから君は、ここで僕の帰りを待っていてくれませんか。あかりが隣にいないのは僕も寂しいけれど――近いうちに、僕も軍を辞めるから。それまでの辛抱です」


囁かれた決意に、思わず手を握り返す。驚いた。軍を辞めるという話にではない。それを私に明かしたということに。
以前の彼にならば、きっと私にも黙ったままだったろう。戦いがひと段落したとはいえ、長く軍に居た彼が辞めるのはきっと簡単なことではない。だからこそ弁慶さんは、秘密裏に事を進める筈。そして彼の目的を知る人が少ないほど、彼は動きやすくなる。

(私が辞めさせられたのも、きっとその一環。何の相談もなかったのは、それがベストだと判断したからなんだろうな)

でも弁慶さんは、今それを私に明らかにした。私に情報が伝わることで、面倒事は増えるかもしれない。――そのリスクよりも、私の不安を取り除くことを選んでくれたのだ。それはあまりにも衝撃的なことで。

(私、馬鹿だ)

望美ちゃんの困ったような笑みを思い返す。
私ばっかり弁慶さんを想っていると、思っていた。とんだ勘違いだ。弁慶さんはもっともっと、大きな愛で私を求めてくれていたというのに。


「あかり、どうか僕の腕を振り解かないで、僕だけのものでいてください」


握ったままの手を引き寄せられて。熱っぽく囁かれて。
――考えるまでもなく、答えは決まっている。答えの代わりに私は、誘われるままに瞼を閉じた。


「あかり、愛しています。」


唇に感じる、甘美な熱に身を任せる。どんどん溺れていくような感覚に陥る。

弁慶さんは、ずるい人だ。私は結局敵わなくて、全て彼の思い通りになっていて。
でもそんな策士な彼を、私は誰よりも心から、愛しているのだ。



150429
「すれ違い喧嘩からの仲直り話。溺愛状態の弁慶に口説かれる」でした。リクありがとうございました!




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