らうたげなる


予想していなかったわけではない。普通に考えればすぐに思い至ることだった。ただ、そっちに思考がいかなかっただけで。だってまさか本当に、こんな関係になれるとは思わなかったから。


「えっと、あ、あのっ、弁慶さん、あの…!」

「あかり、なんでしょう」


耳元で、彼の声が響く。少し掠れ気味の低い音、その色気に背筋がぞくりとした。

弁慶さんと私の顔は今、数センチと離れていない。少し動いたら触れてしまいそうなほど、至近距離。現に彼の吐息が私の前髪を揺らしている。

(――近すぎる!)

こんな密着した体勢で、平常心でいられるわけがない。顔は真っ赤だろうし、呂律も回らない。脳内は沸騰しかけている。
今にも逃げ出したいのだけれど、それは無理そうだった。端に追い詰められ、退路を断つように弁慶さんの左腕が私の頭の横に突き立てられている。ちなみに右側は、しっかり私の肩を掴んでいた。

(なんていうんだっけ、これ。…壁、に……ああ、そうだ、壁ドン…)

まだ向こうの世界に居た頃、女の子たちの間で流行っていたシチュエーションである。あの時はこの体勢のどこにときめきがあるのか、いまいち理解できなかった。でも、実際に体験してわかる。これは、すごい。すごい近い。ただでさえ整った弁慶さんの顔が間近にある。それだけでもう、どうしたらいいのかわからない。
しかし私は、ときめきと同じくらい危機を感じていた。


「ち、近いです…!」

「当たり前です。近づいているんですから」

「なっなんでそんなことを?!」

「貴女が逃げるからでしょう」


にっこりという笑みに反して、冷ややかな言葉が帰ってきた。思い当たる節がありすぎて、思わず視線を逸らした。

平安末期の男女事情は、もちろん現代とは違う。まだ通い婚の時代だ。通い婚とは――…という詳しい説明は省く。要点はひとつ。両想い即結婚ということだ。身分や状況で色々あるけれど、私と弁慶さんの場合はそうだった。つまり、弁慶さんの認識もそれだった。

そう、想いを確認し合ったあの直後から、弁慶さんは急に私を妻として扱いだしたのだ。しかも彼は中々の愛妻家であるらしい。めちゃくちゃ優しいのだ。甘ったるい声で、表情で、私を翻弄する。それまでの態度とは、雲泥の差である。


「だって、弁慶さんが急に態度を変えるから…!」

「素直になったと言ってほしいですね。それに、急に関係が変わったのだから仕方ないでしょう」

「それでも、いきなりこんな、困りますっ」

「おや、部下扱いの方がお好みでしたか?」

「…そうじゃなくて」


優しくされたくないわけじゃ、ないのだ。私だって弁慶さんが大好きだ。優しく愛されたい。
でも習慣というのは恐ろしいもので、冷たくあしらわれていた時期の嫌な思考回路が、素直な喜びの邪魔をする。笑顔の裏に何かあるんじゃないか、とか。これは私をからかって遊んでいるに違いない、とか。そんな風に疑ってしまうのだ。

(まあ、弁慶さんにだったら、からかわれても騙されても、構わないのだけれど…)

今更、彼にどんな扱いを受けようが彼を嫌いになるなんてあり得ない。そう自覚しているから余計に、思いにもよらなかった今の対応に困っている。照れてしまって、気恥ずかしくて、つい逃げ回ってしまうのだ。


「優しいのも嬉しいけど…前の弁慶さんの態度だって、私にとっては特別だったんですよ」


私はぼそぼそと、視線を合わせないままに呟いた。


「だって、飾らない本音のままの貴方は見れるのは、私だけだと思っていたから」

「……あかりは、これだから、全く」


深い溜め息と共に、弁慶さんは私から少し離れた。
はっとして顔を上げると、今度は彼が顔を逸らす。私は驚きに、目を見張った。


「え、弁慶さん顔赤…」

「そんなに言うのであれば、良いでしょう。納得いくまで、教えてあげます」


途中で言葉を遮り、弁慶さんは強引に私の腕を引いた。包み込むように抱きしめられ、耳元で色気いっぱいに囁かれる。


「らうたげなる僕の妻に、たっぷりと、ね」


でも、その甘い睦言より何より。
照れて真っ赤になった愛しい人の姿に私は、身体中が熱くなるのだった。



141013
「優しくされなれてない夢主に迫り、たじろぐ夢主」でした。リクありがとうございました!




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