「あの、弁慶さん」


外套の裾をちょっと引く。弁慶さんは私を見下ろし、首を傾げる。彼が口を開く前に、私は一息で告げた。


「こんなこと、私が言うのもおかしいんですけど――幸せに、なってくださいね」


弁慶さんは、虚を突かれたように目を見開いた。問うような視線。それは弁慶さんだけでなく、周囲の皆から向けられている。注目され慣れていない私は少し恥ずかしく思いながらも、でも伝えなければならないと、弁慶さんを真っ直ぐ見つめる。


「私はあの世界へ行って、ずっと自分の役割がわからなくて不安で、それでもなんとかやっていけたのは弁慶さんの存在があったからだと思います」


――思えば、私にとってのこの旅は、全て弁慶さんに関わるものだったのだ。初めに出会ったのも、沢山傷ついたことも、幸せな感情も…何もかも、弁慶さんによるものだった。


「異世界から来た小娘ひとりに、仕事を与えてくれた。それだけで救われたんです」


独りよがりの感情なのは、重々承知である。でも、私にとっては変えようのない事実だった。


「私は、弁慶さんに恋をしていました。だから、どんなことでも耐えられた。毎日が厳しくも、充実していました。貴方を好きになって、良かったです」


苦しいこともあった。こんなに一人の男性を想ったことは初めてだった。弁慶さんは決して優しくはなくて、幸せな恋ではなかったのかもしれない。それでも、弁慶さんで良かったと心から思う。

恋だけではない。補佐の仕事、自分の役割、色々なことを彼から学んだのだ。普通に学生をしていたら、とても経験できないことばかりだった。
形には残らないものばかりだけど、きっと大切なものを沢山、私は得ることができた。

この冊子――神子軍記のこともそうだ。上手く書けたとは言い難い。書き留めきれなかったこともある。でも、私なりに満足がいく形にはなったと思う。形に残らない八葉と神子の戦いを、少しでも著せていたらと思う。
私一人では、紙の調達もままならなかった。筆も、慣れなくて続かなかったかもしれない。でも弁慶さんに任された、それだけで私にとって、何よりも優先すべき仕事になったのだ。

(私が救いに来た筈なのに、いつだって私が救われていた)

私が来た理由は弁慶さんを救うためなのだと、思い出したのは本当に最近のことだ。ずっと知りたかった、私の存在理由。でも、漸く知ったその頃にはもう、そんな理由なんてなくても弁慶さんへの想いでいっぱいだった。理由なんて、いらない。彼の為なら、どんなことでもしてみせると思えた。


私は本当に、様々な感情を弁慶さんに向けていたのだ。いくら伝えても、伝えきれない程のものを。
私が出来ることは少ないから、だから、祈るくらいはしたのだ。




「本当の恋人にはなれなかったけれど…嬉しかったです。ありがとうございました。きっと幸せに、なってくださいね」


心の底から願う。私は、自分の恋の成就よりも、大切な人の幸せを願う歓びを知ったのだ。だからもう、大丈夫。私は弁慶さんへの未練を断ち切れるだろう。…ううん、この想いを抱えたまま生きていける。ただ彼が幸せならば――それでいいのだから。


沢山の感謝と祈りをぎゅっと詰めて、彼を見つめる。
弁慶さんは不機嫌そうに、顔を顰めた。


140911



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