独占欲と覚悟と 鎌倉に向かう直前、あかりだけは不安顔だったことを覚えている。それを指摘すると彼女は、困ったように眉尻を下げて言ったのだ。 「弁慶さんと九郎さんが頼りになるのは、知っています。でも鎌倉殿は強いでしょ。もしもを想像すると、気が気でないんです」 確かに鎌倉へ乗り込んだところで、成功するとは限らない。聞く耳持たずで追い返されるかもしれない。 (それどころか…命を奪われてもおかしくはない) あかりが危惧しているのは、恐らくこの点だろう。だが当のあかりの役割とて、決して安全ではないのだ。あかりは望美たちと共に北条政子と対峙する。彼女は人ならざる力を持つと言う。非戦闘員であるあかりは、いつもは基本的に戦闘には加わらない。適度に安全な位置から皆を見守っていた。 しかし今回、望美たちと行くならばそうもいかない。政子が未知の力を駆使するというなら、危険なのは弁慶よりもあかりである。だというのに、あかりは自分のことは二の次であるらしい。 「きっと、無事に帰ってきてくださいね」 あかりはぎゅっと弁慶の手を握り、呟いた。 * あかりと再会したのはその後、京の堀川屋敷だった。彼女は弁慶の姿を認めると、駆け寄り酷くほっとした表情を浮かべた。 「お疲れ様でした。…鎌倉殿を無事、説得できたんですね」 肩を撫でおろすあかりを、弁慶は見下ろす。息を吐きながらも、どこか恐る恐る表情を窺ってくるあかりに、心配し過ぎだと思わず頬が緩んだ。 「あかりは、どうでしたか。怪我はしてないでしょうね」 「はい!私は後ろに居ただけですから、問題ないですよ!」 あかりは言う。だが弁慶は、それが彼女の謙遜であることを知っていた。何故なら、ここへ来る前に譲や望美と少し話したのだ。その際、あかりが政子と対峙した望美を庇うように飛び出たのだと聞いた。結局大事は無かったようだが、想像しただけで肝が冷える。 怪我はないらしい。 確かめるようにあかりの肩に触れる。自分のより遙かに華奢な感触に、強く触れたら壊してしまいそうだと思った。 (こんなに頼りない身体で、しかしあかりは平気で戦場に飛び出ていく) 自分は何もしていないと、何もできないのだと彼女はよく口にする。もしかしたら、謙遜しているのではなく、無頓着なだけなのかもしれない。仲間を気に掛ける割には、自分のことは顧みない。その危うさには、とうに気付いている。 でもだからといって、あかりが慈悲深いだとか、そういうことではないのだ。 彼女は良い意味で自己中心的である。自分の手が届く範囲が狭いことを、知っている。だからその範囲だけを必死で守ろうとする。失うまいとする。――彼女には、自分も他人にとっての掛け替えのないひとりだという認識がない。 愚かで、短絡的。 浅はかで救いようがない。 だがそれ以上に――愛おしさがこみ上げる。 彼女の”守りたい人”の一番に、弁慶はいる。そのことに、戸惑いすらあった。こんなにも自分が求められたことは、今までにないのだ。 誰かの特別になるということが、どんなに難しく、しかし喜ばしいことか。あかりの言動からは、それが如実に伝わってくるのだ。 あかりの特別であること、あかりが自分の特別であること…それを認めた後は、その甘美な事実を手放せなくなった。 (すっかり、捕らわれている) 特別美しいわけでも、際立ったものを持っているわけでもない。しかし弁慶は、そんなあかりに魅了されている。あかりは無意識のうちに弁慶の心を掴んで、離さない。他人に心を振りまわされるのは、窮屈で苦しい。しかし不思議と嫌ではない。 僅かな不安は、あかりから離れてしまうのではないかということ。彼女が自分に心底惚れているのは知っている。それでも不安が拭いきれない理由は、この世界での彼女の存在があまりにも希薄で不安定だからである。 一度知ってしまった独占欲は、もう手放せそうにない。ここまで弁慶を落とした張本人は、まるでそのことに気付かない。 ――或いは、あかりのような人を、魔性と呼ぶのかもしれない。 だからこそ、今度は自分が彼女を繋ぎ止める。その覚悟は、既に出来ている。 140822 |