夏の熊野は、暑い。クーラーも扇風機もないこの世界では、風通しの少し場所でも貴重だ。冬の寒さを恋しく思う程に。

(でも、今ばかりは外の日差しが懐かしい)

塗籠の内部は、ひんやりと感じた。四方を壁で囲まれているというのに、蒸し暑さはない。風が入らない反面、逆に外の熱風も通さないのだろう。

頼りない蝋燭の灯りに照らされ、弁慶さんの艶やかな微笑が迫力を増す。真っ直ぐ私を見据える彼の瞳に、私はいっそう手足を冷たく感じた。冷や汗が止まらない。冷たい手で心臓を鷲掴みにされたように、私の身体は僅かな時間で心の芯から冷え切っている。
寒さに耐えるように、震える声を絞り出した。


「どういうこと、ですか」

「どうもこうも、言葉の通りですよ。あかり、君がいつも逃げようとするから、こうして逃げられない空間を用意したんです」

「私が…逃げているなんて、そんなこと」


動揺する私とは対照的に、弁慶さんは冷静に私を追い詰める。じわりじわりと、少しずつ退路を断つ。それは彼の戦術の立て方と同じだ。相手が目先の大事に目を奪われている隙に、外堀を確実に埋めていくのだ。
そうして気付くと彼の掌の上で転がされている。相手は喉元に刃を突きつけられるその時まで、自分が負けていることに気付けない。

私はいつからか、この術中に嵌っていたらしい。二人きり、塗籠の中。弁慶さんは私を捕らえる。


「逃げてないとでも、言うつもりですか」


冷ややかに言われ、反論を紡ぐことができなかった。思い当たる節は、あった。ただ、逃げるというと語弊はあると思う。逃げるつもりは、なかったのだ。結果的に逃げ腰になっていただけで。

熊野参詣の話が出てから――否、望美ちゃんと例の話をしてから、私はやたらと弁慶さんを意識していた。その前から、ずっと彼を振り向かせたいと思ってはいたから、特別に態度が変わっただとか自分では思っていなかったのだ。
でも、無意識に力が入りすぎていたのだろう。自身の恋慕だけでは済まない。私がなんとかしなければ、弁慶さんは一番厳しい決断をすると知ってしまったから。源氏を裏切り、平家を騙し、自分が消えることで決着をつける彼自身が一番傷つく道を選ぶと。そうでなくとも、弁慶さんが助かる未来は少ないと――それに、他でもない私が深く関与していると知らされて、今までと同じでいられるわけがない。

だから、近づかなければと思うと同時に、怖かった。些細な行動が、何もかもを変えてしまうのではないかと。その心が、態度に出た。私はきっと、ちぐはぐな行動をしていたのだ。


「いや、違うか…」


黙ったままの私に、何かを感じ取ったのだろうか。スッと目を細めて彼は呟く。


「あかり。君は僕に、何を隠しているんです?」


全てを暴かんとする視線。容赦はしないと物語るように、弁慶さんは私の肩を掴む。確信を突いた言葉。
逃げられないと、悟った。





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