”始まり”


冷たい雨が降っていた。
地に付いた膝と手に、懐かしさを感じる。土でも砂利の河原でもなく、整えられ舗装された地面。学校の校庭だ。身にまとう服も向こうのものではなく、水を吸って重たくなった制服。

どんよりとした空は、昼間だというのにまるで、この世の終わりみたいだと思った。少し離れたところに電気の点いた校舎、そこから伸びる渡り廊下が見える。
もう随分、昔のこと。そこから校庭に立つ白龍を見つけて望美は異世界へと旅立った。まさにその場所に、今ひとり膝を付いている。

(“一番始め”に、戻ってきた)

神子として選別された、物語の始まり。望美は、リズヴァーンに助言を受け考えを巡らせた結果、ここへ行き着いた。始まりは、宇治川でも京でもない。元の世界のこの校庭だった。

(何もかもが、あの時と同じ。私だけが、異物みたい)

遠くで、生徒たちの笑い声がする。穏やかな日常。あの合戦に溢れた世界とは違う。生まれ育ち、馴染んだ世界。
でも、望美はすっかり変わってしまった。もうあの頃みたいに、何も知らない彼女ではないのだ。神子としての役割、戦いに身を投じて一所懸命に生きる彼らを知っている。

雨に打たれたまま、望美は唇を噛みしめる。
結局、どうしたらいいかわからない。望美だけが戻っても、意味はないのだ。将臣も譲も、そしてあかりも居ないのだから。


――その時、渡り廊下に人影が現われた。


座りこんだまま動かない望美に、戸惑ったような声が掛けられた。


「春日、さん…?」


恐る恐る、小さな声。
しかしそれは望美の良く知る声である。

望美は、驚いてすぐに顔を上げた。視線の先、立ちすくむ少女。制服姿で、髪型も少し違って、何よりも望美のことをよく知らないようだけれど、それは紛れもなく。


「あかりっ」


思わず、叫んだ。それは共に合戦を駆け抜けた少女だった。望美が探していた彼女に違いなかった。

(まだ出会う前、あの世界に行く前のあかりだ)

望美はそう確信した。
まっすぐ見つめられたあかりは、たじろぐような素振りを見せつつも、望美を心配してか近づいてくる。あかりの上履きや制服が雨に濡れていく。


「あの、春日さん一体どうし……ッ!!?」


望美は無我夢中だった。このあかりはあの世界とはまだ関わりを持っていないし、望美と友達でもない。

(それでもこれは、あのあかりだ)

理由なんてない。
ただ、そうに違いなくて。







「お願いあかり―――弁慶さんを救って!」







差し出された手を掴む。驚くあかりに構わず、彼女を引き寄せる。

迸る閃光。
逆鱗が時空を越える。

流される、運命に。冷静に事態を考える余裕などなく、二人は濁流へと流されてゆく。どこへ行き着くのか分からない。
ただ、直感したのだ。



――この為に、彼女は来た。彼が求め、私が手を取ったから。



きっと、あかりは今この瞬間に始まったのだ。
いつまでも終われない、私たちの為に。



巻二、了。
巻三へ続く。

140121



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