おいで




「安心してよ。僕、怪しい者じゃないから」


喫茶店。運ばれてきたココアを啜りながら、前に座ったお兄さんは言った。
知らない人に道で引き止められ、うっかりそのまま喫茶店まで誘導されてしまったなんて、我ながら危機感がない。

そもそもの発端は、私が急にリストラされたところにある。理由は不明。急に呼び出されたと思ったらリストラを言い渡された。経営難なのかもしれない。それならいいのだけれど、青ざめた顔で私に退職金を渡した社長の表情が気に掛かった。
自分の名誉の為に言うと、リストラされた寂しさからナンパに乗ったとかそういうんじゃない。怪しいお兄さんに呼び止められた時はとっさに逃げようとした。けれど、ある一言が、私と彼が食事をすることを許してしまったのだ。


「あ、僕のことは白蘭て呼んでね、助手子チャン」

「はぁ」

「そんな困った顔しないでよ〜」


さっきからずっとこんな調子だった。怪しくない、という人こそ怪しいのだとこの人は分かってないのだろうか。そんなに悪い人では無さそうなので、なんとなく彼に付き合ってしまっている私もどうかしているのだけれど。

にこにこにこにこ。胸焼けするほどのスマイル連発。真っ白な髪の下の整いすぎた顔には妙なペイントが施されている。態度も格好も、随分ふざけた様子だ。国籍すら分からない。


「で、白蘭さんは私に何のご用なんですか?」


なかなか進展しない会話に、私は思い切って切り出してみた。


(君、ロボット工学展にいた子だよね)


実は白蘭さん、ロボット工学展にいた私に興味を持って訪ねてきたらしい。
彼曰く、「立派な情報網を持っているから君の職場も一発でわかった」ようだ。なんか複雑。

それにしても、ロボットに触ったこともない私に"興味を持った"だなんて不自然だ。
胡散臭い笑みに隠されて、白蘭さんの意図は依然としてわからない。勿論、彼の正体も。ごくん、と唾を飲み込んだ私に白蘭さんは「緊張しなくていいのに」といった。


「実は僕、勧誘しに来たんだよねぇ」

「…勧誘?」

「そう。さっきも言ったでしょ?技術部の子が君を展示会で見かけて、気に入ったみたいでね。人手足りないし、助手にどうかな。あ、あんまり僕の方から詳しくは言えないんだけど」

約束だから、とにこにこ笑みを浮かべる口元に、ココアを運んだ。甘ったるい匂いが漂う。


「だから、人違いですよ。私は技術なんて」

「さっきから言ってるじゃん。そんなことはどうでもいい。ただ、今はとりあえず僕に付いてきてよ」

「訳も分からず着いていけません!」

「…せっかく再就職できるチャンスだっていうのに、随分と余裕だね?助手子チャン」


再就職、という言葉にぐらりと心が揺れた。確かに退職したばかり、仕事を選んでいる場合ではない。


「って…あれ?私、退職したって話しましたっけ」


首を傾げたら、白蘭はさも愉快な様子でにこにこしてきた。


「さぁ?」


答えになってない。でも、私は確実に彼にリストラのことは話していなかった。


「何故、」


何故知っているの
言葉を途中で呑み込んだ私の前で、白蘭さんは相変わらず優雅な仕草でココアを啜る。


「何故知っているか知りたい?」


白蘭さんは息を潜めて囁いた。
その響きには今までのふざけた様子がなかった。彼の胡散臭い笑顔が、急に怖くなった。


「僕が圧力をかけたんだよ」

「…え?」

「わからない?僕が君をリストラするように命令したんだ、君の職場のトップにね」


あっさりと言い放った白蘭さんの言葉に反応が遅れる。
ぞくり、肌が泡立った。


「どうして、」

「どうして?今更聞くの?
まぁいいや。君にうちの会社に入ってほしいからだよ」

「そんなことのために、私」

「そんなこと、とはひどいな。ミルフィオーレは、僕が精力を尽くして育てた大切な組織だよ」


どうやらミルフィオーレ、というのが会社の名前らしい。白蘭さんは軽い笑い声をたてたが、その目は笑っていなかった。怖い。


「とりあえず一緒においで。じゃないと僕は君を、」


その先にどんな言葉が紡がれるのかなんてわからない。


だけど私はその目に逆らえなかった。






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