すきだと言ってただ頷いて


こんなに苦しげな表情は、見たことがなかった。あのスパナが、まるで、感情をむき出しにしたかのような形相を浮かべている。それは私の心をざわつかせるには十分すぎるものだった。


「もう知ってると思うけど、正一は白蘭の副官として既に大きな地位を築いている。勿論、今後ミルフィオーレが仕掛ける戦争についても正一は推進側にいる」


今や、二番隊隊長入江正一の名は脅威。前線に出ることこそないが、頭脳戦で彼に勝る者はいないといわれる程だ。私は元々彼と知り合いだったせいか、噂で聞く「入江隊長」と親しくしている「正ちゃん」をいまいち結び付けることができない。しかし、指令官室に居る時のあの冷めた眼差しをした彼は、確かに白蘭の副官にふさわしい得体の知れなさを醸し出している。


「…けどね、正一は無駄な犠牲を出すことを凄く嫌うんだ。だからファミリーに忠誠を誓ったのではなく、ただウチの補佐として雇用されてる助手子のこと、常に気にかけている」

「私を?」

「最近、正一に避けられていると言ってただろ。あれ、意図的」


寝耳に水だった。私はショックより先に、納得してしまう。どうりで会えないわけだと。


「基地の司令官である正一と親しげに接すれば、それだけ助手子は目立つ。正一はあえて避けることで、隊員の目を助手子から逸らさせようとした」

「それって…まさか」

「助手子を、逃がすためだよ」


スパナの言葉に、息をのんだ。ファミリーの秩序たる幹部が、隊員を内密に逃がすなど前代未聞。相当の覚悟がなければ、計画を口にすることもできないだろう。


「別口で、γも協力すると言ってきた。きっと二人の協力があれば、助手子一人くらい逃がせるとウチも思う。白蘭もそこまで、あんたに構ってる余裕は無い筈だから」


日々、隊員数が増えて規模が大きくなっている。その中で下っ端が一人姿を消しても、今なら目立たないだろうという考えは理解できる。
逃がしてやりたいと、言うことは簡単。だが、それを実行するとなれば話は別。もし計画が漏れれば、ファミリーの幹部二人が離反したと騒ぎになることは間違いない。でも正ちゃんもγさんも、かなり本気でそれを検討してくれていたのだ。その危険を犯してまで。


「実際、あとは良いタイミングを待つだけのところまで進んでいた。ウチがその申し出を拒否しなければ、ね」


スパナはそこで一度、言葉を切る。私は、その言葉を不自然に感じた。
スパナは前から、私がミルフィオーレの一員であることに不安を感じていた。自分がこの世界に引きずり込んだ、と責任を感じていた。そうではない、私が私の意思で決めたのだと何度も話し合ったけれど、それでもスパナは心の底でやりきれない思いを抱えているように見えた。

実は基地内で異変を感じ始めた時、スパナは私をまた逃がそうとするのではないかと疑ったのだ。危険を理由に、また遠ざけられるのではと心配だった。今聞いた正ちゃんとγさんの申し出は、私が隊を抜ける方法として今まで最も現実的なもの。もしスパナが私を逃がそうとしているのなら、これ以上の条件はないだろう。私も、三人がかりで諭されたら意思を貫くのは厳しいだろうと思う。

けれどスパナはそれを、断った。最も強く、それを主張しそうなスパナが。その理由がわからない。矛盾だ。私はここを去ることは望んでいないけれど、スパナの考えの変化が無性に気になった。スパナは私を逃がしたかったのではなかったのだろうか。彼は、私をどう思っているのだろうか、と。


「大切ならば逃がすべきだと、ずっと信じていた。でも…ウチはそこまで強くない。そのことに気付いてしまったんだ」

「…どういうこと?」


スパナは、あいている方の手を私の背中に伸ばす。その手は、まるで壊れ物を扱うように、そっと優しく私を包む。


「あんたが…助手子が隣に居ない世界なんて…もう、想像できないんだ…!」


絞り出すような声が耳元で響き、その刹那、私はスパナに強く抱きしめられていた。


「助手子をここに留めるのは、ウチのエゴでしかない。一緒に居たいという理由だけで助手子の沢山の可能性をつぶして、危険なここに、縛り付けることになる。そうわかっていても、どうしようもなかった。何を犠牲にしても…助手子を、」

「…っ」


言葉を失った。それは私が初めて聞く、スパナの本音だった。
スパナはいつもどこか余裕そうで、どちらかというと表情も豊かではなくて。優しくて、頭が良くて、あったかくて。その彼から、こんなにも生々しい主張を聞くだなんて想像さえしていなかった。スパナの身体は震えている。そのせいだろうか。痛いほどに力強く抱かれているのにも関わらず、スパナをとても弱々しく感じた。


「助手子はウチの最高の助手。でもそれだけじゃなくて、ずっと側で、支えて欲しい」


ぎゅ、と込められた力。そして。


「助手子、愛してる」


小さく囁かれた告白。
私は何も言わず、ゆっくりと彼を抱き返した。




(私がスパナを拒む理由など、ある筈がない)
110303



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