どうか美しく欺いてほしい



思えば、初めて会った時から白蘭には警戒心を抱かずにいられなかった。ただの男ではない。いずれ何かをやらかすだろうと、薄々だが確信していた。


「もう、今更逃げることはできない。助手子が望んでも望まなくても戦は始まるし、確実にまきこまれる」


だから、スパナの告げた事実には驚いたものの、すんなり納得したのだ。遂に始まるのかと。


「…ありがとう、全部、教えてくれて」


数拍置いて、私は漸く息を吐く。


「私をミルフィオーレの一員と、認めてくれてるんだよね。隠されたままじゃないかって、思ってたから」


不安げに瞳を揺らすスパナに微笑む。…私は、ちゃんと笑えているだろうか。乾いた唇を舌で湿らせ、声の震えを極力抑え、言葉を紡ぐ。


「正直な話ね、凄く…ショック。抗争はあっても、ミルフィオーレが率先して行うなんて想像してなかったから」

「助手子…」

「でも一方で、まだ実感が沸かないの。どこか遠くの、私の知らない場所での話にしか思えない。私が作る道具で人が死ぬ、頭ではわかってるつもりでも、本当は何もわかってない」


海の向こうの国でテロがあったとか、沢山の子供が飢餓で苦しんでいるとか、1日に何人が命を落としているとか。大変ね、可哀想ねと思っても、いまいちピンとこない。それよりも、明日の小テストの方が自分にとっては重大だったりする。それと同じような感覚。
無責任で薄情で、最悪だと思う。ましてや、今の私は人殺しに少なからず荷担しているのだ。罪深いことをしている。でも、私にはそれよりも目前の…今の生活の維持の方が重要に思えた。


「私は大丈夫だよ。あの時の覚悟、まだ続いてる」


これまで幾度か選択を迫られた。マフィアとして生きる道は危険を伴う。本来、特別なものなど何も持っていない私には相応しくない世界なのだ。それでも、私は逃げずにここまで来た。自分なりの意志を持って。


「だからスパナ。そんな悲しそうな顔、しないで」

「え……」


彼は目を丸くした。私はそっと、彼の頬を撫でる。


「泣きそうだよ。スパナは優しいから、私の為に泣いてくれるんだね」


苦しげに引きつる頬。しかし彼自身は、それに気づいてなかったらしい。スパナは彼の頬に触れたままの私の手に、自分の手を重ねた。

冷たい彼の頬と手に温もりを移しながら、心の中で謝罪する。ごめんなさい。覚悟だなんて、嘘。そんな大層なものは無いのだ。全ては保身の為だった。
奪うかもしれない見知らぬの命を引き返えに、私は自分の居場所の確保に躍起になっている。それは、自己の欲望にのみ忠実な愚かな行為に他ならない。

そうせずにはいられなかった。私は変化を恐れていた。まだ一年と経っていない短い期間なのに、私はこの場所に執着し、スパナの助手という立場に酔っていた。…あまりに居心地がいいから。世迷い言かもしれない。そうだとしても、他の全てと引き換えにしても良いと思えてしまう。

ただここに居たいだけなのに、どうしてままならないのだろう。






「優しくなんて、ない」


その時、重ねられたままの右手をぎゅっと握られた。驚く私を見つめて苦しげに息を吐いたスパナは、絞り出すように続ける。


「本当は、あんたを逃がすように言われた。今なら、上手くすれば、まだ逃げられるからと」

「…え?」

「ウチは全て却下したんだ。助手子をここに縛り付ける為に」


スパナは、唇を噛み締める。
私は呆然と彼をみつめた。

彼の告げたその言葉の意味よりも、苦しげに歪んだ彼の表情に息を飲んだ。


110227



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