終焉を迎えにいくよ



自室近くで、γは珍しいものを見た。所在無さげに佇む、深緑色のツナギの男。


「おい、こんなところに何か用か?」

「…電光のγ」


相変わらず表情の読みにくい顔で、スパナはγを見る。白蘭や入江のように、意図的に思考を悟られないようにした表情ではない。スパナの場合、本人の思考が摩訶不思議なので理解ができないのだとγは認識している。
しかし、これでもかなりわかりやすくなったのだ。

(機械男が恋を知った、か)

まるで小説だとクスリと笑うγに、スパナは眉を寄せる。


「ウチが何かした?」

「いや、すまん思い出し笑いだ」


答えながらも笑みを隠せないγを、スパナは不快げに睨む。γは迫力に欠けたその睨みを鼻で笑い、言葉を促した。


「それにしても、お前がここまで来るとは珍しいな。俺に何か用か?」


ブラックスペルといっても、スパナは純粋に技術者として働いているだけだ。γたちのようなミルフィオーレ成立以前の古株たちとは、関わりが薄い。それに、司令官の入江と旧知であることもあり、スパナへの司令はどこの隊長も通さず、直線上から下る。
スパナが自分たちに用があるとしたら、思いあたる節はひとつしかない。γは脳裏に小柄な日本人を思い浮かべて、スパナの言葉を待つ。しかし。


「指令が、下っただろう」


スパナが口にしたのは、予想に反したものだった。


「隊長会議があったと聞いた。そこで何が決まったかは詳しく教えてもらっていない。でも、モスカの増産と強化を命じられた」


会議の内容は、まだ隊長レベルで留めるように言われていた。でも、スパナは頭がいい。それだけで"何が"決定されたか察したのだろう。


「ああ。ミルフィオーレは全マフィア…いや、世界のトップに立つ」


隠す必要もないと、あっさり白状したγにスパナは問いかける。


「イタリアに戻るらしいな」

「情報が早いな。そのとおりだ。あと半月ばかりで、俺たちは前線に戻る」

「………そうか」

「嬢ちゃんにも言わねぇと、悲しむだろうな」


嬢ちゃん、とγが口にした瞬間、無表情だったスパナの顔が見るからに強張った。


「なあ。お前、助手子が好きなんだろう。どうするつもりだ?」


γはその隙を逃さなかった。間髪入れず、問い詰める。
スパナがγたちの前線行きを、気にするわけがない。そう、彼ははじめから助手子の話をしに来たのだ。今度始まる戦いが、どれ程のものなのか。マフィアとはいい難い、助手子の安全を図るために。


「俺たちが口を出せることじゃねぇ。第一、助手子はいくら危険だと言ったところで逃げるような女じゃないだろうな。だが、今回ばかりはそんなことも言ってらんないだろうな」


スパナと助手子、双方の願望を知りながらもγは容赦なく断言した。


「ミルフィオーレは、全世界を敵にまわす。白蘭は本気で世界を恐怖で統べるつむだ。どうなるかはわからないが、このままでは"本当に"引き返えせないぜ」

「――わかってる。助手子はこんな場所にいるべき人間じゃない」


ぎゅ、と眉をしかめて奥歯を噛み締めながらもスパナは答えた。その顔は無表情とは程遠い。


「白蘭の目から隠すのは難しいだろう。俺のつてを紹介するぜ」


スパナの判断は、妥当だ。彼女が好きであればあるだけ、ここから引き離すべきだと誰だって思う。事態は予想を遥か上回って、深刻。今の時点では予測でしかないが恐らく、一般人も巻き込まざるを得なくなるのだろう。一般人に手を出した時点で、仁義だの義理だのは関係なくなる。ただの人殺し集団だ。そうなれば、助手子は良心の呵責とファミリーの間で押しつぶされる。
一方、今抜ければ確実に白蘭の追撃が放たれるだろう。γの協力は有り難い。彼の力があれば、あるいは逃げ切れるかもしれない。逆に、γ無しに助手子を無事には逃がれられない。それは明白な事実だ。しかし。


「……いらない」


スパナは、絞り出すように言い放った。


「助手子は、手放さない」

「――お前、自分が何を言ってるかわかってるのか」

「わかってる。ウチもあんも、既に両手は血まみれだ。本当は、助手子に触れる資格さえない」


俯き気味に両手を見つめるスパナは、奥歯を噛み締めるように顔を歪ませる。


「でも、今更手放せないんだ…っ」


驚くγを吃と睨みつけ、その胸倉に掴みかかる。堰を切ったようにスパナは続けた。


「ウチが命に代えても守る。絶対に、彼女に手は出させない!だから…だから、助手子は誰にも渡さない。何を犠牲にしても、助手子にとっての幸せが別にあるとしても、ウチは助手子を逃がさない!」


γに向かってというより、自分に言い聞かせるようだった。今にも崩れ落ちそうなスパナは、悲痛と怒り、苦みと決意がぐちゃぐちゃになったような表情だった。

(どこが"機械男"なんだか)

γは少しだけ表情を和らげた。そして胸元のスパナの手を振り解く。


「…それは、本人に直線言うんだな。言ったろ?俺たちの知ったことじゃねぇよ」


γの言葉に、スパナは魂が抜けたように立ち尽くす。


「全く、いい顔になったな。スパナ」


中途半端な想いなら、早々と引き離すべきだと思った。だが、本気で愛しているのならそれは野暮な考えである。

(何を犠牲にしても…か)

今まで誰かに執着することが少なかった分、助手子に向けるそれは限りなく依存に近いのかもしれない。
その愛を突き付けられた時彼女はどうするのか、その場に居合わせられないことを残念に思った。


101222




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