もう遅い、既に消えた群光だ 鳴り響いた電子音に、集中力が途切れる。時計を見ると、もう仕事を始めて二時間ちょっと経っていた。 (すっかりスパナみたいになっちゃった…) 一時間半で休憩しようと思っていたのに、没頭しすぎて忘れていた。近頃はスパナの手伝いや雑用ばかりではなく、簡単な作業を単独でまかされることも増えてきた。それは何より信頼されている証拠なので嬉しいけれど、少し離れてみるとどれだけ自分が彼に影響されているか、よくわかる。 私は工具を置くと、未だ鳴り続く腕時計型のモニターをいじった。 『助手子チャン!元気にしてる?』 「白蘭さん…ですか?」 『うん、驚いた?』 モニターには映らなかったが、モニターの向こうからは確かに白蘭さんの声がする。この小型モニターはスパナに持たされた連絡用のもので、時に応じてテレビ電話にもなる優れもの。しかしここへの連絡先を知っているのはスパナだけの筈だが…。 ちらりと良くない考えが浮かぶが、恐ろしくて考えるのをやめた。 「お久しぶりです。私に、何かご用でしょうか」 『え〜、用がなくっちゃ電話しちゃ駄目なのかな。僕は可愛い助手子チャンと話たかっただけなんだけど』 「…そうですか」 相変わらず胡散臭い。今顔は見えないけれど、いつもの喰えない笑みを浮かべているであろうことは用意に想像がついた。 ――信用するな、あいつは。 幾度となくスパナに言い含まれた。白蘭さんは私たちのボスであるけれど、きっと味方ではない。仕事と割り切った付き合いだけで済ませなければ、白蘭さんの闇に呑み込まれてしまう。 それは私自身、感じていたことでもある。そもそも、私をマフィア界に引きずり込んだ張本人だ。 『ホラ、メローネに移動して随分経ったから。慣れたかなと思ってね。そっちはどんな感じ?』 白蘭さんは、警戒を強めた私に気づいているのだろう。しかしいつもと変わらない声で明るく問う。 「変わりないですよ。正ちゃんがしっかり管理してくれてますし」 『相変わらず仲良しだよね』 言葉を選びながら「そうでしょうか」とうそぶいた。 『ねぇ、スパナくんの側は居心地いい?』 「? ええ。仕事も楽しいし」 『変わってるよね、助手子チャンは。殺人の片棒担いで楽しいだなんて』 不意打ちに。背後から刃物を突き立てられたような衝撃を感じた。白蘭さんの声は私の傷口を広げて、弄ぶように続ける。 『知らなかったなんて言えないよね。スパナくんと助手子チャンがナニを作ってるのか』 「………」 『人を殺すための道具だよ』 言われなくても、わかっている。私たちはマフィアだ。 幾つもの試作品を作った末にようやくできた道具も、寝る間を惜しんで設計した銃も、今ではまるで我が子のように愛着をもっているモスカも。裏社会でミルフィオーレが優位に立つための道具でしかないのだ。それならまだしも、もしかしたら一般市民を殺すことになるかもしれないと思うと胸が痛い。 ――でも、どうにもできない。私はマフィアで、それが仕事だから。 「……白蘭さん、本当に何の用でしょうか」 『いや、本当に助手子チャンの様子が確認したかっただけだから』 じゃあまたね、と軽い言葉を残して通信は切れた。 * その日、ボスである白蘭よりミルフィオーレの全部隊隊長が緊急招集を受けた。会議場に並ぶホワイト、ブラック両派の隊長。駆けつけられなかった者はホログラム通信での参加だ。 かつてこのような緊急招集はされたことがない。異例の事態に集まった者たちの表情は僅かに強張っていた。 「して、白蘭様。一体これはどういうことで?」 ホワイト側の隊長が、全員が席に着いたのを見計らって問いかけた。白蘭の部下といっても、彼の人生の倍以上を裏社会で生きてきた猛者である。訝し気な言葉に賛同するような声がそこかしこから聞こえる。 「まぁそう憤らないでまず聞いてよ」 白蘭は言って、顔の前で手を組む。そして試すように全体を見渡した。 「ねえ。今のマフィア情勢は、君たちの頭にちゃんと入ってる?」 白蘭の視線は獲物を追う蛇そのもので、各部隊隊長たちはその鋭さに息を呑む。 今のマフィア情勢は、比較的穏やかだった。マフィアの中でも一目おかれたごく僅かなファミリーが全体を上手く治めているのだ。ミルフィオーレファミリーは、新興ファミリーにしては規模の広がりは早く技術の進歩も凄まじい。でもこのままでは古株の大御所ファミリーを超えることはできない。それが悩みの種だった。 「全世界のマフィアたちより、僕たちミルフィオーネが一歩前に出る時が来たよ」 しかし白蘭は焦る様子もなく笑う。そしてとんでもない命令を下す。 「出始めに、ボンゴレの傘下を消しちゃおうよ」 誰もが言葉を失った。 ボンゴレファミリー。今世界で一番の勢力を持ちながら、ここ最近は穏健派として名を知らしめている。それを攻撃するということはマフィア界全てを敵に回すに等しい。 「これより、ボンゴレファミリーを始めとする対抗マフィアの殲滅を開始する」 しかし恐れひとつない白蘭の姿に、各部隊隊長たちは不思議な心強さを感じる。このボスについていけば悲願の夢が、ミルフィオーレが世界の頂点を極めることが可能なのではないか。 俄かに熱気を持ち始めた会議場でただひとり、入江正一だけが冷めた顔で座っていた。 101120 |