滲んでいくすべてを




気がつけば季節は既に反転。助手子と出会って早くも半年が過ぎようとしていた。


「スパナ、丁度良かった。先日出してもらったレポートの件だけど、なんとかなりそうだ」


呼びとめられて振り返ると、正一が相変わらず不幸そうな表情を浮かべて立っていた。レポート、と言われて一瞬何のことか分からず思考が停止する。


「レポート…」

「まさか、忘れたんじゃないだろうね。三日前に送りつけただろう、新型モスカの件だ」


その言葉に漸く思い至って「ああ」と声を上げると、正一は訝しげに眉を寄せる。いささか心配しすぎる傾向のある上司に、ウチは軽く手を振って答えた。


「いや、大丈夫だ覚えている。それより、本当にあの案で通るのか?」

「通るのかって…案を出したのは君の方だろう?まあ、司令官としては少し厄介に思う。けど、技術者としてなら君の案に純粋に興味が湧いた」

「正一がそう言ってくれるなら大丈夫だな。」


話は、ウチが出した新型モスカに搭載する機能についてのことである。


「それにしても、よく思いついたね」

「――発想の転換だ」


感嘆の息を吐いた正一に、ウチは曖昧に笑う。今回提出した案は、今までとは趣向の異なったものである。だからこそ却下される恐れもあったのだが、思った通り正一は上手く話しに乗ってくれた。


「技術者だから見えていないものも沢山ある。今回の案は、助手子が考えた」

「助手子ちゃんが…」


予想外だったらしい。正一は助手子の名前に驚いたように瞳を揺らす。だが、すぐに同様を隠すようにゆっくりと眼鏡を押し上げ、皮肉めいた言葉を吐いた。


「彼女の噂は僕も時々耳にするよ」

「……」

「あのアフェランドラ隊も彼女を贔屓にしているというじゃないか。それだけじゃない。ブラックスペルの技術者を中心に彼女の噂は広がっている。あのスパナが優秀な助手を見つけた、とね」


妙な噂が出回っていることにはウチも気づいていた。最初はひた隠しにしていた助手子の存在は、彼女がアフェランドラ隊に出会い、正一に会ったことで徐々に知られていった。


「僕は、彼女がそんな才能を持っていたなんて思いもしなかった。ましてやこんな処で開花する羽目になるだなんて、ね。今や彼女がほんの少し前まで一般人だったなんて、誰も思わないだろう」


苦々しげに言う正一が、そのことを良く思っていないことは明らかだ。基地内で有名になることは即ち、マフィア間でも情報が広まるということ。それは、彼女がマフィアの一員として正式に認識され、抗争や厄介事に巻き込まれる恐れを示している。
助手子と正一は旧知の仲であるという。
正一は、自分の身内や故郷の話を全くしない。いつだって冷静で、誰にも心の内を悟られないようにしている節がある。きっと彼にとって、助手子はその触れられたくない部分に属する人なのだと思う。彼の弱みに繋がる、彼の大切な人間の一人なのだろう。

(あの正一が、ポーカーフェイスを崩すほど、大切な…)

胸が重く、何かもやもやとしたものが込み上げてきた。正一が助手子を大切に思うのはおかしい話ではない。助手子は目立つタイプでこそないが、言うなれば、月光のような淡い優しさを持っていた。人はそれに惹きつけられるのだ。正一も、アフェランドラ隊も、白蘭も。
わかっている。でもこの不快感は何だろう。


「スパナ、君はどういうつもりで彼女を助手にした?」


冷ややかに正一が吐き捨てた言葉に、ウチは無意識に彼を睨みつけていた。
優秀だから、仕事が楽だから…そんな事ではない。正一の問いに適当な答えなどみつからない。理由なんてない。ただ側に、いて欲しいと思った。それだけなのだ。



*



「どうしたの?なんか、元気ないね」


そっと、背後から手が伸びて空の湯飲みを浚う。目を上げると助手子が首を傾げてこちらを覗きこんでいた。


「例の案、通ったみたいだ。助手子の功績だな」


ぼんやりとしていたことに気づき、慌てて取り繕うように言う。仕事中にもの思いに耽るなど、珍しいことだった。


「ほんと?!」

「ああ。正一が賛成してくれている。問題ないだろう」


誤魔化すように話を振ると、助手子はぱっと顔を輝かせる。そして、笑いながら呟いた。


「正一先輩が…。良かった」


先輩、と聞いてウチの思考は一瞬停止した。助手子は正一を"先輩"と呼ぶ。それが彼女と正一との間にある、ウチの知らない過去の関係によるものだとも知っている。
助手子は、何も意識せずに正一の名を呼び親しげに接しているのだろう。しかし端からみれば、二人の間に決して浅くない関係が引かれているのは火を見るより明らかだ。


「――助手子」


名前を呼べば、助手子は無邪気な笑顔でウチを見る。その視線に若干こそばゆく思いながら、ウチは考えるより先に言っていた。


「正一を先輩って呼ぶの、やめてほしい」


まだ、妙な独占欲の正体は分からない。



100506



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