苦情ならあの世で




まるで寝癖のように、癖のついた茶色い髪。きっちりと眼鏡を掛けたその顔は、私の知り合いの顔に酷似していた。――否、知り合いそのものだった。
スパナが私に馬乗りになる形で、私は床に横たわったまま、現れたその青年に驚いて動けない。驚いたのは向こうも同じらしく、ぽかんと口をあけて呆けている。



そしてそれから数分後。
先程倒れたモスカをどかして、とりあえず三人分の座るスペースを確保。向かい合った私と入江先輩は、お互い、気まずさと疑問から恐る恐る声を掛ける。



「まさか、あの"入江正一"が先輩だったなんて…」

「それは僕の台詞だ。なんで、助手子ちゃんがミルフィオ―レに…」


何をどうしたら良いのか分からずに沈黙が訪れると、私のすぐ横に座っていたスパナが急に私の肩を引き寄せた。


「助手子。正一とどういう関係?」


単純な疑問というよりも若干の不満を含んだ声色。そういえば、スパナの存在を少しだけ忘れていた。彼は私と先輩――入江正一の間にまさか関係があったことなど思ってもいなかっただろうし(というか、私も想像だにしなかったのだ)、自分だけががのけ者にされて不快なのだろう。そう察した私は、未だに自分でも事態が把握できないまま、スパナを見上げて曖昧に言う。


「あー、なんというか、私の直接の先輩じゃないんだけどね」


とりあえず、彼はやはり私のしっている"先輩"で間違いないようだ。だったら先輩と私の関係を説明するのが一番手っ取り早いだろうと判断した。


「スパナも一回会ってるよね、私の弟。あれが入江先輩に懐いてて、私も何度かお世話になったの」


今更な話だが、私には弟が一人居る。
弟は昔から機械やロボットに目が無くて、暇さえあれば何かをいじっているような、所謂メカオタクだった。そして、実は弟がそれにのめり込んだのには原因がある。それが近所に住む年上の先輩――のちに彼の中学、高校のOBともなる青年、入江先輩との出会いだった。私も弟と先輩との間に何があったのかは知らない。しかし入江先輩に懐いていた弟は、頻繁に先輩と連絡をとっていたし、その関係で私も食事に連れて行ってもらったりしたものだ。そして私が年上である彼を先輩と呼ぶのは自然のながれだった。


「弟…」


私の家に来た時に、スパナも一度会っている。その日の弟は口数が少なかった為に二人の間の交流はなかったけれど。


「やっぱり、君はあの助手子ちゃんなんだね。夢や幻覚でもなさそうだ」

「はい。先輩は――入江正一、でなんですね?メローネ基地の司令官の」


入江先輩の確かめるような口調に、私は頷いた。司令官、と言うと先輩は少し眉を寄せる。


「助手子ちゃん、ここがどういうところだか、分かってる?」


探るような先輩の口調に、私は首を傾げながら答えた。


「メローネ基地。ミルフィオ―レファミリーの日本支部ですよね。イタリアンマフィアの」

「…そこまで分かった上で、どうして君がここに?君は、マフィアなんかじゃなかった筈だ」


その言葉で、先輩が何を言わんとしているかがなんとなく分かった。よく考えれば、それは当然だろう。近所の知り合いを自分の職場で見かけただけでも吃驚なのに、そこがマフィアであるなら尚更だ。私だって入江先輩がマフィアだなんて、初耳だったのだ。


「助手子は、ウチの助手だ」


相変わらず私の肩を抱きながら、スパナが状況を察して助け舟を出す。私はスパナの言葉を肯定し、続けた。


「えっと、そういうことです。つい二ヶ月近く前からスパナの助手として働かせていただいていて、」

「ちょ、ちょっと待って。意味がわからない!だからなんで、マフィア?!」

「スカウトされたんです。白蘭さんに」


声を荒げた先輩に苦笑しながら告げると、先輩は「白蘭、さん」と呟いて脱力したように肩を落とした。


「ウチのせいだ…ウチが、ロボット工学展で助手子に話掛けたから」

「スパナのせいじゃないよ!最終的に決めたのは、自分だし。どっちかといったら、逃げられない事実を突きつけて話掛けてきた白蘭さんのせいでしょ」


未だに責任を感じるスパナに笑って否定すると、落ち着きを取り戻したのか、先輩が呟いた。


「ロボット工学展って、もしかして」

「はい。うちの弟に付き添って行ってたんです」

「正一が誘ってくれたやつだ」


私と同時に答えたスパナの言葉に、え、と彼を見上げる。すると先輩は「僕がスパナを誘って行ったんだ」と告げた。


「じゃあ、お世話になった先輩って入江先輩のことだったんですね!」


あの日の事を思い出す。
弟に付き添ってロボット工学展へ行った。弟は、お世話になった人に会いに行くと――入江先輩に会うと私を置き去りにした。そして、私はスパナと出会った。
世間はなんて狭いんだと言えばその通りになのだが、こうして考えるとなんだか、私がスパナの助手になったのは運命だったのではないかと感じる。


「何となく、話は掴めたよ。要するに君は白蘭さんに強要されて、ここに入ってスパナの助手をしていると」

「強要っていっても、今では結構楽しく過ごしてますよ」


私はやんわりと訂正した。先輩の言葉だと、まるで私が嫌々ここにいるみたいだった。
そう思って、ああそうか、と納得。先輩は私が何も知らない無知のまま、なんとなくここにいると思っているのだろう。マフィアがどういう所かわかっていない、と。イタリアを出る少し前に喧嘩した、あの時のスパナと同じように心配しているのだ。


「――私は、ここが綺麗事だけで生きていけるほど甘い職場ではないって、分かっています」


まだ日は浅いけれど、それくらいの覚悟は出来ている。それでも私はスパナの助手を続けると、自分の意志で決めたのだ。


「入江先輩、不束ながらよろしくお願いしますね」


そして、手を差し出した。


100318




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