いつも望んでばかりいます もう三時間程モスカに取りかかりっきりの背中に、私はお茶を淹れたばかりのマグカップを置いた。 「はい、緑茶どーぞ。あんまり根詰めると身体壊すよ。切りがいい所でちょっと休憩にしよ?」 「…ん、ありがとう」 スパナは振り向き、ゴーグルと手袋を外す。今日は私の言葉通り休憩してくれるみたい。彼は仕事熱心だ。放っておいたらきっと何日も働き続けるだろうから、定期的に休ませないと心配なのである。 「やっぱり助手子の淹れるお茶は格別だな」 「そんな特別なことはしてないけどね。愛情込めてるからかな?」 「きっとそうだ。助手子の優しい味、する」 美味しい美味しいと言うスパナに冗談で言ったら、真面目に答えられた。スパナはたまにキザな台詞を恥ずかし気もなく言うので、私は慣れなくて、ついつい赤面してしまう。 …これがイタリア育ちと日本育ちの差? 「あ、さっき正一が帰ってきたって聞いた」 ふと、スパナが顔を上げた。赤くなった顔を誤魔化すようにマグカップに口を付けていた私は、急にスパナに視線を向けられてまた、慌てた。 「しょ、正一…って、例の入江さんだよね?」 「そう。助手子会いたがってただろ?後で用があるから一緒に行こう」 入江さんと言えば私が散々勘違いして、しかも妙な嫉妬までした人。仕事でイタリアに行っていたみたいだけれど、今日が帰ってくる日だったらしい。 「う…うん」 「? 嫌なのか?」 「そうじゃなくて!あの、その…」 くだらない理由である。なんとなく言いにくくて、自然と声は小さく早口になる。 「私、散々勘違いしてたじゃない?なんだか、会うの恥ずかしいというか、申し訳ないというか」 単に、自分が会い辛いのだ。あれだけ騒いでいて何を今更だが――しかし、恥ずかしいものは恥ずかしい。半ば八つ当たりのように醜態を晒した後では、入江さんに何もなかったように接する自信がない。最も、当のスパナは気にしていないようだったけれど。 言葉を濁した私に、スパナは笑って肩を叩く。 「そんなに緊張しなくても大丈夫だ」 「で、でも指令官でしょう。何か粗相でもして嫌われたらどうしよう…」 「問題ない。助手子はウチの助手だからな。例え嫌われてもウチが助手子を必要としてる」 ま、また恥ずかしいことを…! この台詞、日本人の感覚からしたらプロポーズされた位の衝撃だと思う。でもスパナは素で言っていて、結局自分だけが動揺している状況に更に恥ずかしくなるという悪循環。声も無く私がうなだれると、彼はいたずらっぽく笑った。 「…そうこうしているうちに、正一の方から来たりして」 「えええっ、それは無いでしょ!」 「さあ。でも正一はたまに、急に訪ねてくる」 「ええええっ!こ、心の準備が…!」 「慌てる助手子、可愛いな」 「な、そんなことないよ…!」 入江さんの件は一件落着したものの、スパナが誰に対しても優しいだろうという、根本的な問題は解決していない。入江さんは男性だったけれど、ミルフィオーレには決して女性が少ないわけではないのだ。もし別にスパナと親しい女性がいたら…やはり嫉妬してしまう可能性は否めない。 すっかり火照った頬を抑えて席を立ったら、急にスパナが私の腕を引いた。 「助手子危ない!」 スパナの声が響いた直後、何かが崩れる音がして、私の視界が深緑に染まる。 「いてて…」 「怪我ないか?!」 「う、うん大丈夫。スパナは?」 「ウチも大丈夫…背中、ちょっと打った」 深緑は、スパナのツナギの色。どうやら整備中のモスカが私が立った拍子にこちらへ倒れてきたらしく、スパナは私に覆い被さるようにしていた。落ちてきた部品を私をかばって背中で受け止めたスパナは、少し顔を歪めている。大丈夫だ、と言うが本当だろうか。私のせいでスパナが怪我したらどうしよう。 けれど、間一髪だった。 スパナの機転がなければ、私はモスカの下敷きだったと思う。なんせモスカは巨体だ。その上、ミサイルも防げる鉄のボディ。あれの下敷きになったら、無事でいられる自信がない。 「あ、ありがとう」 申し訳なさいっぱいでスパナを見上げると、突然、スパナは口を閉じて私をじっと見た。そしてそのまま、彼の指が私の頬に触れる。 「怪我、無くて良かった…」 小さく囁かれた言葉に、どきりとする。 いつになく真剣な表情。静まり返った部屋には、私とスパナしかいない。私の視界一面に広がったスパナ、優しい眼差し、緩やかな指の動きに……何故か、鼓動が早くなる。 お互いに見つめ合ったまま、時間が止まったように感じた。 ――その時。 「スパナ、久し…」 軽い音がして扉が横に滑り、聞こえた第三者の声。床に倒れたまま顔を向けると、ホワイトスペルの白い制服に、眼鏡の青年が立っていた。 「あ、正一」 間の抜けたスパナの声が響く。その言葉から、彼が噂の「入江さん」だとわかる。 青年は途切れた声をそのままに、私たちを呆然と見ている。それは、そうだ。久々に会った旧友が見知らぬ女と、至近距離。いかにも誤解されそうな体勢だった。 けれど私は、フォローもできずにただ青年を凝視していた。 「――入江先輩?」 初対面の筈のその青年に、見覚えがあったのだ。 100311 |