違う、違う、こんなはずじゃなかった




掴んだ助手子の手は、自分のものより一回りも小さい。歩幅も全然違うので、彼女は今も必死について来ようと小走りだ。何も言わないけれど、手を掴まれて殆ど引っ張られるように歩くのはとても歩きにくいだろう。

――そうわかっていながらも、ウチは歩幅を緩めることも振り返ることもしない。


「ス、パナ」


γの部屋から助手子を連れ出して数分。ようやくウチの部屋まで戻ってくると、タイミングを見計らったかのように助手子は口を開いた。それはいつものような明るい声ではなく、困惑と後悔を含む声だ。


「あの、本当にごめんなさい。迷っちゃうなんて思わなくて…」


彼女の言葉は僅かに震えていて、決して口先だけで言っているわけではないとわかる。それでも何も答えないウチに、助手子の最後の方の声は尻すぼみに小さくかすれた。

訪れた沈黙は重いものだった。助手子と出会ってからしばらく経ったが、こんな状況は初めてである。少し前に助手子を足抜けさせようとして喧嘩になったけれど、こんな風にはならなかった。だから沈黙をことさら重く感じるのだろう。


「スパナっ」


助手子を視界に入れないまま、床に座る。彼女はそれを見て、ウチが本気で怒っていることをようやく理解したらしい。焦ったように名前を呼ばれたけれど、やっぱり返事はしなかった。
そう、ウチは怒っていた。普段の自分からは想像できないほどに。ウチは感情的になることは少ない。けど、今の自分は驚くほどの拭えない不快感と、言いようのない感情に満たされていた。


「…スパナが怒るのは、当然だよね」


助手子のあまりに弱々しい声に、良心が痛む。しかし、まだ振り返れない。妙な意地で、疼く良心を抑えつけて目を閉じた。


「でも、何でスパナが怒っているのか言ってくれなきゃわからないよ…」


縋るように、彼女の手がウチのツナギの背中を握った。声に覇気がない。いつもと違う彼女の姿にウチは動揺した。

助手子は反省している。もう怒る必要はないではないか。けれど…実を言うと自分が何で怒っているのか、自分でもわからないのだ。助手子が勝手をしたから、というと何か違う気がした。助手子のことは、心配だった。γに捕まったと知って、肝が冷えた。でも、迎えに行ったときに――なんだか、腹が立ったのだ。
自分がわからなくて、それもまた不快。自然と出たウチのため息に釣られるようにして、助手子は諦めに似た言葉を吐いた。


「それとも、馬鹿な女だって嫌われちゃった…かな」

「! そんなことはない…!」


予想外の台詞に思わず振り返ると、潤んだ目がウチを見上げている。濡れた黒に、どきりとした。

(…どうも、弱いな)

簡単には許すまいと思っていたのに。真っ直ぐな彼女の視線に捉えられて、そうするうちに、胸の中の不快感が不思議と収まってきた。ウチはなにより、助手子の泣き顔は苦手なのである。
そうなってしまうと妙な意地を張っていた自分が恥ずかしい。ウチは視線を外しながら言い訳をした。


「助手子はまだ、ここの恐ろしさがわかってない。…今回は無事に帰ってこれたけれど、まだ身分証明もできないあんたが、この基地を歩き回るのは危険すぎる」

「…γさんたちにも言われた。すごく反省してる。もし、γさんたちじゃなかったら、」

「危険なのは、γのアフェランドラ隊も同じだ」


助手子は目をまるくして口を噤む。


「下手に雑魚に捕まるよりも、よっぽど危険。運良く助手子は気に入られたから良かったけど…アフェランドラ隊は、戦闘であれば容赦なく女子供も簡単に殺す」


アフェランドラ隊だけではない。ミルフィオーレの人間は、誰だってそうだ。邪魔な者は消す、欲しいものは奪う。…最近は、特にそれが顕著になりつつある。


「マフィアは、ミルフィオーレはそういうところだ。イタリアでも言ったけど、これからそういう辛いことも沢山ある。それでも…」


もう彼女はマフィアと無関係ではいられないだろう。イタリアで彼女は、ウチの助手でいることを選んだのだから。
中途半端に切った言葉でも、ウチの言わんとしていることを察したらしい。ぎこちなく頷いて、助手子は言葉を引き継いだ。


「それでも私はもう決めたから。今更、逃げることなんてできないよ」


命の保証は誰にもできない上に、逃げは許さなれない。本来マフィアにいる必要のない彼女にとっては、酷な話だった。けれど、まだウチの助手で居てくれるという助手子の言葉に不謹慎にも嬉しく思ってしまう。


「心配かけて、ごめんなさいっ…」


涙声で頭を下げた助手子に、また小さくため息を吐いた。そんな顔されたら、怒るに怒れないではないか。


「本当に、心配した」

「うん」

「あんたに何かあったらどうしようって、仕事も手につかなかった」

「…うん」

「だから、早く仕事終わらせなきゃ。助手子にも働いてもらうからな」


助手子は顔を上げて、ウチが怒っていないことに気付くな否や、安堵したように破顔する。


「私、スパナが迎えに来てくれて安心した。やっぱり、スパナの側が一番、安心できるよ」


笑ってそう言うと、堪えきれなくなったのか一筋の涙が頬を伝った。

――それを拭おうと、手を伸ばしたのは無意識だった。前にも同じことはあった。助手子が白蘭に連れてこられた時も、喧嘩したときも、ウチは同じように彼女の涙を止めようとしたのだ。しかし。


「あ…ごめ、ん」


ウチの手は乾いた音を立てて叩き落とされた。


「いや、大丈夫だ」


妙な空気が流れた。
ウチよりも、助手子自身が驚いているようだった。目を見開いて、状況が把握できていないかのようにまばたきを繰り返す。ウチは、突然の拒絶にただ呆然とした。それはウチの知る助手子の行動に、あまりにそぐわないものだったのだ。


「スパナ、あの聞いてもいい…?」


とりなすように、先に口を開いたのは助手子だった。頷いて肯定を示すと、一瞬躊躇うような素振りを見せる。


「…入江さんのこと」


何でその名前を知っているのか、何故突然そんなこと言い出したのか。
目の前に居る少女がまるで助手子ではないかのような、そんな奇妙な感覚にウチは息を呑んだ。



091221



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