白い喉元に凶器




野猿くんに手を引かれるままに歩きだして早数分。てっきりスパナのとこまで案内してくれるのかと思いきや、どんどん知らない廊下を進み、いくら待っても見覚えのある風景は見当たらない。嫌な予感しかしなくて、私は野猿くんに恐る恐る声を掛けた。


「あの…野猿くん、どこ向かってるのかな…?」

「えー?γアニキんとこ」


……とりあえずわかった、絶対スパナのところじゃない。しかもγアニキって、さっき野猿くんが言ってた見つかったらヤバいっていう隊長じゃないだろうか。


「が、γアニキって」

「オイラたちの隊長!すげー強いんだぜ!」

「そんなこと聞いてないよ!?あの、私スパナのとこに帰りたいんだけど…!」


精一杯そう主張した私。しかし、野猿くんから返ってきたのは先程と変わらない暢気な声。


「助手子、そんな焦んなくても大丈夫だぜ!オイラも早く帰してあげたいけど、そろそろアニキの部屋に顔出さないとオイラの命がヤバいんだ」


清々しいまでの晴れやかな笑顔に、不満の声を思わず飲み込んでしまった。
何というか、野猿くんは可愛い。男の子に可愛いっていうと十中八九嫌がられるから口にはしないけれど、彼をみていると母性本能がくすぐられる。私にも弟(妙に口うるさい弟だ)がいるが、それとはまた違ったタイプで新鮮なのだ。

兎も角、野猿くんは行き先を変える気はないらしい。そして、今なんかさらりと物騒な言葉が聞こえた気がしたけど、多分気のせいだ…よね、うん、気のせい!(命の危険っていうのは言葉の綾だよね!)
私は迷子の身だから彼に着いていくしかないが、スパナに連絡もできないままもう半時は経っている。心配してないかな、とちょっと不安に思う。そんな気持ちを知ってか知らずか、野猿くんは相変わらず元気一杯である。


「そろそろだぜ!そこの角曲がった所がオイラたちの部屋、」


前触れなく中途半端に切れた言葉。どうしたのかと思ったら、前を行く野猿くんが急に立ち止まる。私もすぐに飛び上がった。曲がり角から突然、大きな体の男が姿を現したからだ。


「おい、野猿!どこ行ってたんだ。そろそろγアニキの召集が――…女?」


その人は、野猿くんを見るなり声を張り上げた。しかし視界の端に野猿くんに連れられた私を捉えたのか、叱咤の声を飲み込んで訝しげな表情を浮かべる。


「太猿アニキ!」


野猿くんは男を親しげ見上げた。太猿と呼ばれたその男は、顎髭を伸ばしたとてもがっしりとした体型の人だった。アニキというからには野猿くんの上司なのだろう(義兄弟…というのかな)。華奢な野猿くんと太猿さんとは決して似てはいない。ただ、同じブラックスペルの隊服を着ている。
その太猿さんの視線は依然として私に向かっていて、私は緊張をごまかすように苦笑いを浮かべた。


「女連れ込みか?マセガキの癖に」

「そ、そんなんじゃねーよ!こいつ、新しくブラックスペルに入った助手子っていうんだ。迷ってたから連れて来た!」


野猿くんの言葉に、太猿さんは眉間のしわを一層深くした。どう考えても信用されてない。そりゃあ、いきなり私みたいな女がマフィアですって名乗っても誰も信じないだろうけど。


「新しくってどこの隊だ。うちの隊じゃねぇだろうな」

「あの、スパナの助手なんです」


信用されてはいないけど、野猿くんに会ったときのように敵だと認識はされてないみたい。それを感じとって、私は話を進めることにした。太猿さんは野猿くんよりしっかりしてそうだし、話も聞いてくれそうだ。スパナの所へ帰してもらえるようにお願いしよう。


「スパナの助手?」

「今日基地入りしたばかりで迷ってしまって」

「オイラが見つけたんだぜ!あ、アニキ、助手子をスパナんとこ連れて行ってやっていいか?」


太猿さんは、私と野猿くんを見比べるように眺める。しかしお構いなしにニコニコしながら聞く野猿くんに、太猿さんは呆れたように溜め息を吐いた。


「本当にスパナの助手かは俺には判断できないが、スパナの下へ送り届ければはっきりするだろう」


そして、素早く辺りに視線を走らせ、急に小声で囁いた。


「だが野猿、行くなら今すぐ行け。γアニキには俺が言っておく」

「なんか不味いのか?」

「今、アニキの機嫌は物凄く悪ィ」


太猿さんの神妙な顔に、さっと野猿くんの顔が青ざめた。繋いだ手にも、ぎゅ、と力が込められる。心なしか、見上げた太猿さんも顔色が悪い。よほどγさんは恐ろしいのだろう。強そうな太猿さんが躊躇する程なんだもの。私もなるべく遭遇を避けたい。


「だからお前たち、早く…」


けれど、言いながら私たちを押し出そうとした手が止まった。太猿さんの緊張が走った視線は、私の背後の一点へ向けられていて。野猿くんも凍りついたように目を丸くした。私もとっさに振り返ろうと思ったら、何かひやりとしたものが首筋を圧迫する。


「おいおい、賑やかだな。何の騒ぎだ?」


途端に空気が引き締まった。


「オレは部外者の連れ込みを許可した覚えはねェ」


首に当てられた何かのせいで私は後ろを振り向くことはできないが、しかし白蘭さんを前にした時とはまた違った鋭い気迫そして殺気の全ては私に向けられている。切れてしまいそうな…なんて威圧感。正直言って、怖い。

――この男こそが野猿くんの言うγさんなのだと、私はすぐに思い当たった。


「あ、アニキ」


口を開き掛けた野猿くんは、最後まで言えずにおろおろと私と後ろの…多分、γさんとを不安そうに見た。太猿さんも歯を食いしばったまま何も言わない、否、言えないのだ。見なくてもわかる。彼は強い。これがAランクの、隊長格の力というものだろう。


(どうしようか、この状況)


明らかに私は部外者で怪しい者で、γさんは私を疑っている。私がスパナの助手だと証明できる人はいない。話せばわかってくれると信じたいけれど、既に凶器が喉元へ迫っているのだった。


(ああ、なんでスパナと離れたのかなぁ私)


後悔しても後の祭り。一難去ってまた一難。そして低い、艶のある声色が私を追い詰めた。


「お前、何者だ?」





091015



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