手を洗っておいで




「紅茶がいいかしら、それとも珈琲?」

「日本茶でいいです」


ごく自然な会話だ。そしてなんの変哲もない、いつもの休日の昼過ぎ。目の前にはちょっといつもより豪華な食事が並んでいるが、家族で食卓を囲む様子は変わらず――…って、


(なんでスパナがうちに馴染んでるのよ…!)




事が起きたのはつい十分ほど前。突然我が家の玄関先に現れたスパナは図々しくも家へ上がり込み、いつの間にか一緒に食卓を囲んでいた。


「どうしても今日中に基地入りしたいんだ」


スパナが予定を強引に変更するのは、珍しい。だからあの自由奔放なボス、白蘭さんの差し金ではないかと思っている。そもそもうちの住所をスパナにばらしたのも彼らしいし(何故私の住所知ってるんだろう、あの人)。
それはともかく、スパナと母親が親しげにしているこの光景に非常に肩身の狭い思いをしている私だった。ただでさえ親に自分の知り合いを紹介するのは気恥ずかしいのに、それがスパナとなるといつマフィア関連のボロを出すかと冷や冷やである(家へ入れる前にちゃんと注意はしてきたけれど)。


「お箸上手なのねぇ」

「和食、好きだから練習しました。それにこの煮物すごく美味しいです」

「まあ、ありがとう!お母さん嬉しいわ、ね、助手子」


焦る私をよそに和やかな会話を始める家族とスパナ。仕方なく傍観を決め込んでいた私は、無理やり話を振るなと思いつつも曖昧に返事をする。両親はどうやらスパナが凄く気に入ったらしい。そもそも私の上司でイタリア人のスパナに二人が興味を示さないわけがない。さっきから質問攻めにしたいのを無理して我慢している様子が目に見えてわかる。


「スパナくんは技術者なのかい?助手子は理数系が苦手だが…迷惑かけているんじゃないのか」


和気あいあいと話をしてくれるのは構わない。が、その矛先が自分に向かうのは面白くない上、しかも仕事の話はまずい。一般企業の事務員で通しているのにマフィアの技術者の助手だなんてばれたら…!
慌てた私は思わず声を張り上げた。


「お父さん、そんなことどうでもいいじゃない…!」

「どうでもよくないだろう。助手子が仕事できてるか気になるからな」


父は私をたしなめるように言う。言い返せずに口を閉じた私を、ちらりとみたスパナは静かな声で切り出した。


「助手子…さんは確かに知識はないけど、しっかり周りを見ていてウチが指示をだす前から動いてくれる優秀な社員です」


その言葉に、私は驚いてスパナを見た。彼は何時もと変わらない表情で味噌汁に箸をつけている。まさかスパナが私を庇ってくれるなんて、思わぬ展開に私は言葉もでなかった。


「助手子ちゃんはいい人の下で働けているのね!」

「この人の下なら安心だな」


そんな私をよそに、能天気な父と母はその言葉にいたく感動したようだ。
…何かわかんないけど、いい方向へまとまったみたい。上機嫌な母は、スパナに二杯めの味噌汁を勧めていた。


「…この味噌汁、助手子のと同じ味だ」


不意にスパナが呟いたのはそのときだった。あまりに自然な口調だったから、私は防ぐこともできないままスパナの発言に今度こそ凍り付いた。


「いつも作ってもらってるから」

「え、いつも…助手子ちゃんが、味噌汁を作ってるって?」

「つまりは、そういう関係だということか?」

「彼に助手子ちゃんが毎日お味噌汁を作るような…?」


なにやら両親は意味ありげな目で私をじっと見つめた。凍り付いたままの私は、冷たい汗が滲み出るのを感じる。
勘違いだ、私とスパナは特別に親しい関係などではないのだ。私がスパナに毎日味噌汁をつくるような関係、なわけない(味噌汁は作るけど作るだけだから!)。


「え…と、あの、深い意味は全然なくって…!」


弁解するために口を開いたものの、上手く言葉にならない。馬鹿、もっとはっきり言わなければ全然言い訳にならない…!慌て過ぎて呂律の回らない私に、最後に留めを刺したのは、スパナが来てから一度も声を上げることの無かった弟の言葉だった。


「所詮…男かよ」




(勘違いなのに…!)

090321



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