それはどこか恐れに似たもの




――あんた、何者?


その時の記憶は、正直なところ酷く曖昧だ。ただ私は恐らく、とても些細な疑問を口にしたのだと思う。物理も技術も苦手なあの時の私が、適格な鋭い指摘ができたわけないのだ。
私は学生の頃から完全に文系で、自慢ではないが理数系科目は赤点ぎりぎり以外をとったことがなかった。それ程苦手だった。だから、こんな所に無理して来なければ良かったとその日も後悔していたのが本音。

その日、私は数日前にイタリア留学から帰ってきた弟に付き添って、ロボット工学展にきていた。


「それって、―――じゃないんですか?」


会場についてすぐ、弟はお世話になった先輩に挨拶してくると言い残してどこかへ行ってしまった。他に知り合いもいない私は、仕方なく一通りぐるりと展示品を見て回っていた。しかし途中で説明役らしき青年に捕まってしまい、早くも冷や汗を流していたのだ。青年が言う、スペクトルがどうとか重力がどうとか、私にはさっぱりわからなかったのだ。


(どうしよう、物理学もまともにわからないのに)


素直にそう言えば良かったのだが、完全に上から目線で説明してくるその青年に下手に出るのはなんだか癪で、苦し紛れに投げかけたのがその質問だった。
青年は私の質問にぽかんと口を開けて、それから可笑しそうに笑う。


「君、それは物理学が根本的に理解できていないよ!」


ああ…やってしまった。
自分で自分の顔に血が登るのがわかった。青年は、にやにやと厭らしい笑みを浮かべていて、私は悔しくて唇を噛んで俯いた。


(だってしょうがないじゃない、付き添いだもの)


じわり、と涙がこぼれそうになる。一言「ロボット工学はわからない」と言えばいい。それでも言わない私は相当の負けず嫌いだ。勝ち誇ったような青年を前に、いよいよ途方にくれたその時、誰かが私の腕を引っ張った。


「あんた、何者?」


ぐらりとバランスを崩した私は、その人物を見上げるような形になる。私より、頭二つ分は高い身長。深緑色の作業着。そして、眩しい金髪。


(日本人じゃない)


とっさに判断できたのはそれだけ。
このロボット工学展には諸外国の学生も来ていると聞いた。彼もその類なのだろうか。しかし間近で目があった彼に驚いて、私はとっさの言葉が出なかった。
彼の眠たそうな瞳が私を捉えて数秒。フリーズした私に、彼は痺れを切らしたように再度口を開く。


「ウチの話、聞いてる?今なんて言ったの、あんたどこのファミリーの技術者?」


は、と我に返る。会話に何も支障のない、流暢な日本語だった。


「あ、の」


何か言わなくちゃいけない。でも一体何を答えればいいのか。


「私、付き添いで技術者じゃ」

「じゃあ幹部?」


ファミリーだとか、幹部だとか、よくわからない。
しかし一つだけわかった。彼、なんか勘違いしているのだ。第一、私はこんなところへ来るのは初めてで、もちろんロボットなんかに触ったことないんだから。

ぐぐ、と掴まれた腕に力が込められた。彼が私をじっと見つめる。私は言葉を出すことができなくて、息を詰めたまま彼を見つめ返していた。
くるんと癖のある金髪。色素の薄い瞳。顔は、アングロサクソン系だろうか。


「ねぇあんた」


何か言いかけた彼と同時に、聞き覚えがある声が私を呼んだ。


「姉貴!」


私を探す弟。掴まれた腕は触れるとあっさりと解放され、私は弟に返事をする。


「い、今いく!」


そして駆け去る直前に振り返った。
色素の薄い、しかしどこか強い印象を与える瞳が、ひた、と私に向けられていた。視線が交わったのは一瞬。歩き出した私はすぐに人の流れに呑まれ、金髪の彼は視界から消えた。


この出会いが私の一生を左右しようとは私は思いもしなかったのだが、その時のことを思い出す度に心の奥底がざわつくような感覚を感じたのは、確かである。






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