今日名前を捨てます




「はい、着替えて」


言いながら渡されたのは、深緑色のツナギである。シンプルで実用性重視な、スパナさんとお揃いのもの。


「サイズは多分ぴったりだ。ちゃんと特注したから。で、こっちが靴」


次々と渡されるものは、ツナギや靴から手袋まで様々だ。スパナさんは更にダンボールの中を覗きながら、新しい飴をくわえた。





イタリアに来たというのにあまり実感がないのは、きっとそれらしいことをしていないからだ。

イタリアに着いて、すぐに白いタワー…ミルフィオーレファミリー本部のフィオペディラムに連れてこられた。
そのまま、寄り道どころか他の人と言葉も交わすことなく与えられた部屋に向かったスパナさんに、黙って私はついていったのだった。

その部屋には多くのダンボールが積まれ、機械やら工具やらが乱雑に置いてある。私たちのイタリア滞在中の荷物らしい。(ちなみに、私は小さなキャリーケースひとつだけしか持ってきていない)
荷物だらけの散らかった部屋で、気にせず床に腰を下ろしたスパナさんは、ダンボールの一つを開けて、覗き込んだまま私に手招きした。


「あんたの衣服を用意させた。私服のままじゃこまる」


衣服、と聞いて思わず身構える。何度か、特にイタリアへ着いてからミルフィオーレの制服は目にしていた。白い、または黒い軍服にも似た制服。あれが私に似合うわけない…というか、正直着るのに相当勇気がいるデザインなのだ。
あれを着る羽目になるのかと肩を落としたのも束の間、しかしスパナさんに渡されたのは彼とお揃いのツナギ。


「制服じゃないんですか」

「ウチの助手だから、そんなもん着なくていい。でも、制服もある」


押しつけるようにして渡されたのは、黒い制服だった。


「黒?白蘭さんとは違うんだ」

「あんたは、一応ブラックスペルだから」

「ブラックスペル?」


聞き慣れない言葉に首を傾げた。そう言われれば、何度か聞いた気がする。スペルとかランクとか。わからない、と無言になった私に、スパナさんはゆっくり視線を上げた。


「ミルフィオーレは、全体がブラックスペルとホワイトスペルに分類されてるんだ」

「分類?」

「ブラックスペルとホワイトスペルは元々は違うファミリーだから、分けてる」

「私はどちらの出身でもないですけど、」

「…一般的にブラックスペルは行動派、ホワイトスペルは頭脳派と言われているが、あんたがブラックスペルなのはただの表面上だと思ってくれていい」


説明完了と、また手元に視線を戻したスパナさんは、言うまでもなくツナギ姿。しかし今の話からすれば、彼もどちらかのスペルに属しているのだろう。
スパナさんが制服を着ている姿は想像できないが、戦闘は得意そうではないからホワイトスペルだろうか。ボスであり、ホワイトスペルである白蘭さんが直々に助手を探す位だし。


「スパナさんも、白蘭さんと同じホワイトスペル?」

「ウチはブラックスペルだ」


…案外見分けは難しい。
でも、彼も同じブラックスペルで少しほっとした。


「スパナさんと同じなら安心ですね」


率直にそれを口に出したら、スパナさんはびっくりしたように目を見開く。


「う、うん(白蘭は助手子をホワイトスペルに入れたがってたけど、黙っておこう)」


工具やパソコンに夢中になってしまったスパナさんとの会話はそれきり途切れてしまい、特にやることがなく、私は彼の隣に腰を下ろした。

イタリア、そしてマフィア。初めてスパナさんと出会ってからまだ二週間と経っていない。この数日で随分とたくさんのことがあったが、実際、どれも私には実感がわいていなかった。
そんなことをぼんやりと考えていると、不意に隣からぽつり、とつぶやきが聞こえる。


「…今日から数日間、ここがウチらの仕事場になる」


それに頷きながら、思った。
今まで全てが急で考える間もなかった。でも、いくら実感がなくても、今日から私はスパナさんの助手になるのである。


「これからよろしくお願いします、スパナさん!」


改めて頭を下げたのは、私なりのけじめだった。今までの私とはさよなら。ここまで来たら、腹をくくるしかない。
勝手に気合いを入れた私の横で、スパナさんは突然動きを止めた。


「スパナ、だ」

「…え?」

「スパナって呼んで。あと、敬語も禁止」


そうして再び手元に視線を下げたスパナさん…いや、スパナに、私は緩んだ頬でもう一度呟いた。



「よろしく、スパナ」




(私が助手になったのは、彼の下で働くのがまんざらでもないからだ)

081121



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