僕と失恋の痛手 胸中の鬱積を少しでも減らすかのように、吐いた溜息は重い。その響きに余計気分が落ちる。同時に、同室である留三郎も呆れたように眉を顰めた。 近頃は何をしていても気乗りがしなくて、知らず知らずのうちに鬱々とした表情を浮かべている。自分では普段通りに過ごそうと思っているのだ。でも、感情までは上手くコントロールできなくて、留三郎だけでなく委員会の後輩にも心配させてしまう始末である。 「ご、ごめんね」 部屋で薬草を分別する作業をしている最中だった。溜息は、今日に入ってからもう片手で数え切れない程に口から漏れていた。流石にそろそろうんざりしているだろう。当の僕でさえそうなのだから、他人だったらなおさら。 静かに自習をしていた留三郎にそっと声を掛けると、彼は困ったように頭を掻いた。 「謝る必要はないが・・・まぁ元気だせよ。失恋くらい、お前なら乗り越えられるさ」 「失恋、なんかじゃない」 「あー・・・悪い」 心配してくれている側から、思わず反論していた。自分の声が予想よりもギクシャクと引きつったもので、どれ程ダメージを受けているのだと呆れを通り越して、嫌になる。 「ごめん留さん。八つ当たりだ」 本当は、彼の言うとおりだ。僕は失恋した。失恋とも言えない、あまりにあっけない終わりだった。相手は夕子ちゃん。実習先の町で、女装姿のまま何度も接した女の子。先日無事に実習は終わり、それに伴い女装をする必要はなくなった。当初は、それで彼女との関係も、想いも断ち切るつもりだった。けれどもどうしても捨てきれなかった。それほどに僕は彼女に焦がれていたのだ。 彼女からの提案で、約束していた待ち合わせ。それは丁度実習が終わった次の日で、その日全て打ち明けて玉砕しようと意気込んでいたのだ。 結論からいうと、僕はその日彼女と会うことができなかった。急な野外実習が入り、行けなくなってしまったのだ。気になりつつも、忍たまとして実習をおろそかにできなかった。だから、次に会った時に謝ろうと思って彼女との待ち合わせには行かなかった。もう会えないなんて、思いもしなかった。 「伊作には悪いが、俺は正直ほっとしてる。お前、完全に溺れてるように見えたからな」 「え・・・」 「彼女、結局何者かも分からなかったんだろう。ただの町娘にしては、奇妙すぎだとは思わないか。そうでなくても――伊作のあの、彼女への思いの入れようは見ていて怖かった」 彼女といつも利用していた甘味屋に、僕への――伊沙子への置き手紙があった。そこには綺麗な字で簡単に別れの挨拶があるだけだった。奉公先の関係でこの町に滞在していたこと、それが急に元居た場所に戻らなくてはならなかったこと。もう会えなくてごめん、でも友達になれて嬉しかったと、ただ、それだけ。連絡先や彼女の詳細についてはまるで情報はなかった。 (あの日、夕子ちゃんが真剣だったのはこの為だったのだろう) 夕子ちゃんが泊まっていた宿やよく行っていた店でも、聞き込みをした。けれども誰として彼女のことを詳しく知る人は居なかった。本当に突然、僕があの町へ通い始めたと同時期に彼女はふらりと現れたらしい。他に仕事をしていた様子もない。身なりや教養は悪くない様子だったから、皆、どこぞの良家の娘がお忍びで滞在でもしているのではと思っていたという。 (これでは、留三郎に疑われても仕方ないな) 僕は、彼女が例えばくノ一であるとかは全く思わない。もしそうなら、僕にあんな風に友達になろうなんて、言わないだろうと思うからだ。なんらかの事情があったのは間違いない。怪しいといわれたらそうなのかもしれない。 忍者の三禁。恋は盲目。・・・確かに、あの時の僕はあまりに危なっかしかっただろう。よく分からない女の子に恋をして、疑いもしないで。それが、忍たま最上級生であるとすればなおさらの事。実習も忍務も決して簡単なものではなく、一歩間違えば命を落としても可笑しくない世界に居るのだ。 「・・・好きだったんだ。どうしようもないくらいに」 「あぁ」 「抑えきれなかったんだ」 「そうか」 留三郎は痛々しいものを見るような目で、僕に相槌を打つ。そんな同室の態度に、僕の心からは徐々に熱が引いていく。胸に少しの痛みを残して。 「大丈夫。最初から、諦めていたから」 元々女装して近づいていた。友達が欲しかった、と笑う彼女を騙すように何度も逢瀬を重ねた。でもそれは伊作ではなく、伊沙子としての話なのだ。夕子ちゃんに恋焦がれる伊作の気持ちになど、彼女は気づく筈もない。初めから、彼女の知り合いだったのは伊沙子だったから。忍務が終わり、潮時だった。無理に正体を明かして想いを告げたところで、結果は目に見えている。 留三郎は微妙な表情で、僕を見やり、しかしそれ以上何も言わない。 きっと僕が懐に忍ばせたままの、巾着袋にも気づいているのだろう。女々しいとは思うけれど、まだ手放せそうにない。せめてもう少し、この想いを抱いていたいと思うから。 「善法寺先輩失礼します!!!」 突然、部屋のがスパンと開かれた。 留三郎と二人、驚いて目を向けると一年は組の乱太郎が息を切らして飛び込んできたのだった。そして、ふらつきながらも縋るように、僕の手を取った。 「お願いします、すぐに来てください!タソガレ・・・えっと粉もんッ」 「ど、どうしたんだい。少し落ち着きなさい」 急いでいるあまりに舌の回ってない後輩の背を、とんとんと叩いてやる。しかし乱太郎は更にぐいと、僕の手を引き言い放った。 「とにかく、重症の人がいるんです!一刻を争います!!」 瞬間、僕の頭からは恋しい彼女のことはすっかり抜けていった。重症を負った人、一刻を争う事態。状況は不明だが、保健委員長として早く行かなければならない。 そうやって、失恋の痛手を忘れたいだけかもしれないけれど。 130519 |