私と任務開始 忍術学園での任務――長期滞在を終え、私はタソガレドキ城へ帰ってきた。戦に出て行ったきりの、久々の帰還である。元々こんなにも城を留守にするつもりなんてなかったのだ。思わぬ不在に、次の休日は部屋の掃除から始めなければならないだろうとぼんやり思った。 「おい夕子、聞いているのか?!」 「聞いてる、聞いてますって。兄上は心配性がすぎます。私だってもう、一人前の忍者なのだから、兄上にここまで気をかけてもらう必要はありませんから」 私がぞんざいにそう言うと、兄は渋い顔をした。 「夕子、やっぱり疲れているんだろう。一度家に帰ってゆっくり身の振り方について考えたらどうだ」 「疲れてるとしたら兄上がうるさいからでしょう。それに、身の振り方ならもう決めてます。私はここで正規忍者になります」 「俺は今でもそれには反対だ。向いていないんだから他の道を探したらどうだ」 「向いてないって誰が決めたんですか。だから、もう、兄上はいちいちうるさいです」 と、背後から声がかかる。 「逢坂、気持ちは分かるが、年長者の意見は聞くものだ」 「押津さん!」 ぱっと振り返ればそこには、面で顔を覆った姿の忍者。黒鷲隊小頭の押津さんである。彼は私と兄とに交互に顔を向けると、呆れたように言った。 「諸泉に逢坂、兄弟喧嘩はいいが、それは家でやれ」 「う、はい…」 「そんなことだから、どちらも半人前扱いしかされんのだ」 「おっしゃるとおりです…」 私たちは二人して、うなだれるしかない。確かに、職場でする話ではなかった。まあ、家でやっていたとしても「うっとうしいから余所でやってちょうだい」と母に言われるだけなのだが。 「それはそうと――押津さん、新しい任務、ですか」 押津さんに問いを投げたのは、私だ。私が姿勢を正すと彼も、顔を引き締めて私に向かい合う。といってもその面で表情は見えないので、雰囲気の話だが。 「そうだ。逢坂、怪我の具合はどうだ?」 「全然問題ありません。すぐにでも戦場を駆け回れます。でも押津さんが持ってくるってことは、諜報、ですか?」 「ああ、不満か」 「…不満ということは、ないですが」 「馬鹿夕子、顔に書いてある…あだっ」 ぼそりと隣でつぶやいた兄の臑を無言で蹴り飛ばす。 「お前が狼隊にこだわっていることは知っている。無理にとはいわない。だが、お前はまだ万全ではないのだし、まずは諜報をしても良いのではないかと思い組頭にも話を通してある。どうする」 「やります」 即答した私に、何故か兄と押津さんが顔を見合わせた。 「どうしました?」 「いや…お前は今まで諜報任務を渋っていただろう。だから二つ返事で答えるとは思わなかった」 「…狼隊をやめる気はないです。でも私、今は早く復帰したいんです。だから諜報だとしても引き受けたい」 押津さんは頷いた。しかし兄は、まだ不満そうに眉をしかめたままだった。 * 忍術学園での滞在は、思いの外、私にいろいろなものをもたらしていた。それは、それまでの私の持っていなかった忍術の知識であり、忍者としての心構えだった。忍たまたちとの交流も刺激的だったし、割と良い思い出だったといえる。 それでもなんだかもやもやするのは、あの保健委員長との一件のせいであることは明らかである。 結局あのまま、彼とはほとんど口を利かないままだった。それは、そうである。私と善法寺は完全に、根本的な価値観が不一致だったのだ。子供の時分であれば他人を認められず、何度も衝突することがあるだろうと思う。だが、私たちはもう子供と言える年齢でもなくなってきている。あのまま、互いに関わらない道を選ぶことこそが最善だ。 ――それでも未だに、彼のことを気にしている。自分でも意味がわからない。 「あの、」 あの男の何かが自分の心の中に引っかかっているのだろうか。それとも、未だに忘れられない程に自分は彼に対しての拒否感を抱いているのだろうか。どちらにしても――。 「あの、隣よろしいですか…?」 不意に、肩を叩かれはっとした。 「え、あ、ここ、ですか」 「はい、あの、他の席が全部埋まっていて…」 どうやら、考え事に没頭するあまり意識が飛んでいたらしい。いけない。今は大事な諜報活動の下準備に来ているのだ。町中の茶屋での休憩中といえども、こんなことではプロ忍者への道が遠ざかるばかりである。 声を掛けてきた少女は、どうやら席を見つけられなかったらしい。私はすぐに腰を上げようとする。 「それならもう私は行きますので、どうぞお座りくださ」 「い、いえ!それはだめです!じゃなくて、あの、そんなわけにはいきません!ぼ…私が後から来たのですし!えっとその、良かったら相席させて、欲しいんです!!だめでしょうか!?」 「いや駄目では…」 あまりの相手の勢いにびっくりして顔を上げる。――そして、驚きに声を失った。私の前に立つその少女、くせっ毛の髪がかわいらしい、少し背の高い女の子。 それは、紛れもなく。 あの、遠い日に分かれた私の大事な大事な私の、お友達の姿だった。 150712 |