私と誤算


兄、尊奈門の話を忍術学園で出したことは、結果からすれば正解だった。


「あ、兄?」

「頻繁にこちらにお邪魔をしているでしょう、諸泉尊奈門。あれ、私の兄です。土井先生にご迷惑を掛けていることは、常々組頭から聞いておりました」

「えええ?!!逢坂くんが、尊奈門くんの弟?!!」


土井先生の顔は、それは面白い程に間が抜けたものだった。何を言われたのか解らない、といった様子の彼に思わず笑みが溢れる。でも、流石教師。すぐに理解したのか「そうかあ」と何やら納得したように何度も頷いて見せた。実際、兄がこの土井先生に対してどんな具合に突っ掛かっているのかは知らない。ただ兄までもが忍術学園に執心で、その相手が土井という教師であり、日夜名誉挽回に燃えているのだという組頭からの余計な情報提供が、思わぬところで役に立ったのである。

そして、その効果は予想以上のものだった。
あっという間にその噂は広まり、私と兄の関係は学園では周知の事実となった。それほどまでに兄の認知度が高かったことを私は、人望だと喜べばいいのか、忍びとして情けなく思えばいいのか。それはともかく、一気に時の人となったのである。近頃では、六年の奴らは私をやたらと飯に誘うし、先生方も私に気さくに接してくる。一年は組を中心とする下級生たちにも、恐る恐るではあるが話しかけられるまでになっている。

(簡単なことだわ)

私は忍びである。だから、周囲に溶け込むことなど造作もないことなのだ。この学園での潜伏任務(というように私は認識している)は、難しいように思えて、ある一点を解決すれば驚くほど円滑になる。兄の話題を出したことで、私はそれに気が付いた。つまり相手との信頼関係、だ。
私は、私の保身のために上辺の信頼を勝ち取った。得体の知れない相手に心を開かないのは当たり前、警戒してばかりでは駄目だったのだ。何も、本当に学園の人間と親しくならなくても良い。一定の信頼を勝ち取れれば、それだけで十分過ごしやすくなる。それを失念していた。

(もしかして、このことこそが組頭が私に学んで来いといった事かも)

ただ、誤算もあった。
学園中が一斉に私への警戒を緩めたことで、私は少しだけ舞いあがってしまったのだ。子供は嫌いではない。可愛いと思う。しかも忍術を学ぼうと頑張っていて、そのために私へ教えを請おうとするような子ばかり。情がわかないわけがない。同年代の子と話す機会もこれまでにない新鮮なことで、うっかり私は楽しんでしまっているのだ。
忍務だからと自制しつつも、どこかでこの学園の生徒とだったら懇意にしても良いという、甘さがあった。…それは、上司や兄という先例が居たせいでもあるが。

そして、同年代やそれ以下の子たちと触れ合い、教師陣に温かな視線や態度を向けられた私は、自分までもがまるで、タソガレドキ忍者ではなく、ここで学ぶ忍たまと同じであるという錯覚を覚えていた。
そんなことはないのに。私はタソガレドキ忍軍の一員として誇りを持っていて、こんな寄り道をしている場合ではないのに。きっと気が緩んでいたのだ。城への奇襲も、命がけの潜入もない。仲間と笑いあい、助け合い、切磋琢磨できるようなこの環境に適応し始めていた。


…だから、油断した。
普段なら犯さないような、ミスを起こした。



二年生の座学を一緒に受けさせてもらった後。裏裏山で実技をするから手伝ってくれないかと声を掛けられた。私はそれを受け入れた。脚の痺れはまだ完全に取れたとは言えないが、もう歩行に支障がない程度には回復している。それに二年生の実技くらいであれば、大丈夫だと思った。

簡単な演習。木から木へ飛び移る、基礎運動。二年生ともなれば、ある程度の忍者としての技術は身についてくる。でも慣れた頃が一番事故を起こしやすい。だから彼自身も、慣れた山道の危険を察知するのが遅れた。
数日前に降った雨で、一部の山肌が崩れ落ちていたのだ。それに気付かず彼は足を踏み出す。しばらく前まではそこにあった筈の地面が崩れていることを知らないまま。
案の定、彼は足を滑らせその身体が宙に投げ出された。

咄嗟の行動だった。
ずきん、と痛んだ脚を無視して地面を蹴り上げる。手を伸ばす。落ちようとする彼の身体を寸でのところで掴むと、思いきり後方へと投げ飛ばした。


「逢坂さん…?!!」


その反動で、私の身体が崖へと投げ出された。
驚いたような少年と、周囲の顔。

(良かった、大した怪我はなさそうだ)

そう思った途端に私は落下を開始する。
私の身体は深く深く、落ちていく。青い空が正面に見えた。背を下にして、空から遠ざかる。




――おとうさま…!


不意に脳裏に蘇る映像。泣いている少女。
見覚えのある彼女が誰だか認識する前に、私は意識を手放した。



140220



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