怒鳴る三反田数馬


驚き顔のまま、彼女はピタリと動きを止めた。先程までは喧しいくらいに医務室には彼女の声が響き渡っていたというのに、今は嘘みたいな静寂が辺りを包んでいる。
見つめあったまま訪れた沈黙は、痛々しい。


「数馬〜、今大きな声を出したかい?」


ガラリと戸を開けて入ってきた善法寺先輩によって、沈黙は破られた。その瞬間我に返ったらしいなまえは、さっと立ち上がると素早く医務室を出て行った。


「・・・もしかして僕、すごくタイミング悪かった?」

「いえ、大丈夫です」


苦笑いを浮かべる先輩に首を振る。善法寺先輩のタイミングの悪さはあるけれども、今の空気は僕が怒鳴ったせいでできたもの。そしてそれは、あまりになまえが自身の負傷に無頓着なのが原因だった。




なまえは僕、三反田数馬の大事な大事な恋人である。同学年のくのたまで、以前はよくちょっかいを出されたものだ。いたずらしたり、されたりの関係が男女のものになってから、もう暫く経つ。恥ずかしさよりも居心地の良さを、互いに感じている。

なまえの凄いところは、影の薄い僕の存在を、いつでも一番に考えてくれているところだ。合同実習があれば当たり前にペアを組み、忍たま三年が野外実習だったと聞けば飛んできて僕の怪我を心配する。保健委員は不運であることが周知の事実であるが、その不運をなまえが気遣ってくれるから、それすらも得に思えたりして。
何が言いたいかというと、それほどなまえが大好きなのだ。


でもひとつだけ、彼女に関して許容できない点がある。それが今回の喧嘩の原因。
―――なまえは、恐ろしく怪我に無頓着なのだ。


何回も何回も言っても直らない、なまえは動けば動くだけ傷を作って帰ってくる。くノ一を目指すのだ、多少は仕方ないのは分かっている。
でも我慢ならないのは、ほとんどが不注意や自身を犠牲にした結果の怪我だということ。なまえはくのたまの中でも面倒見が良い。それでもって、活動的で座学より実習が得意だ。


今回も、彼女が実習帰りに医務室にやってきたのが切っ掛け。



「数馬、やっちゃった」


くノ一教室で合戦の見学をしたのだという。しかし足は挫いているし、至るところに擦り傷や切り傷、打撲まで負っていた。
驚いた僕はすぐに治療に取り掛かった。時たま痛そうに顔を歪めるものの、なまえは痛くない、と平静を装っていた。


「なまえが木から落ちるとか、珍しいよね」

「・・・違うの、ユキちゃんが足を滑らせて木から落ちそうになったのを助けて・・・でも無理な体制だったから私が落ちちゃったんだよね」


ここまでは想定の内だ。自分よりも相手の安全を優先するのは、彼女の悪い癖。直して欲しい。でも結果的に後輩を守ったのだから強くは言えない。
しかし、僕はまだ違和感を覚えていた。


「でもユキちゃんたちは、お昼前に医務室に来てたようだけど」


そして発覚したのだ。


「実は・・・・・・野営含む実習で、帰ってきたのは明け方なの。あ、怪我を負ったのは今朝」



今は既に放課後。つまり彼女は、この大怪我を治療もせずに半日も放置していたのだ。恐らく、大した怪我じゃないからと高を括って医務室に来るのを渋ったのだろう。

(もし、取り返しのつかない怪我だったら・・・)

想像して、ぞっとする。なまえはいつもそうだ。自分のことに頓着しなさ過ぎる。僕がどれだけ心配しているかも気づかずに。
思ったとたんに頭が真っ白になって、怒鳴ってしまっていた。






「数馬、気持ちはわかるけどあまりなまえを責めちゃだめだよ」

「え、」

「喧嘩、しちゃったんだろう?」


吃驚して顔を上げると、善法寺先輩は薬を煎じながら優しく笑った。


「なまえちゃんは聡いから、もう数馬の気持ちはわかったと思うよ。だから今度は、ちゃんと仲直りしないと、ね?」

「先輩・・・」

「ここは僕ひとりで大丈夫だから、ほら」

「・・・はい!行ってきます!」


善法寺先輩に背を押され。
僕はすぐに走り出した。

向かった先は校庭にある池の前。彼女は落ち込むと、必ずここへ来る。


「なまえ」


声を掛けると、彼女はびくりと飛び上がって振り返る。そして恐る恐る、僕を見上げた。


「か・・・数馬・・・、まだ怒ってる・・・?」


その顔は、真っ青だ。・・・僕が、怒鳴ってしまったから。そんな顔をさせたいわけじゃ、なかったのに。


「なまえ、僕がなんで怒ったかわかってる?」

「わ、私が怪我を放置したから」

「他には?」

「・・・私が、いつも自分の身体を省みずに怪我をしちゃうから」


俯き加減に答えた彼女に、息を吐く。そこまで分かってくれていれば、いい。
なまえがつい後輩を庇うのも、その結果怪我をしてしまうのも、彼女の優しさ故の行動だと知っている。それはなまえの魅力で、僕にそれを禁じる理由なんてない。


「分かって欲しかっただけなんだ。なまえが後輩を心配するように、僕がなまえを想っているって」


だからもう怒ってないよ、と腕を広げる。なまえは目を潤ませ、僕に飛び付いた。


「か、数馬ぁ・・・ごめん、私っ・・・」

「もう、泣かないでよ。僕がいじめてるみたいじゃない」

「だ、だって数馬が怒鳴る、だなんて、思わなかっ、たの」

「怒鳴って、ごめんね」


ぎゅ、と彼女を抱きしめて囁く。


「僕はなまえがすごく大切なんだ。だから、あんまり心配かけないで」


なまえはそれに何度も頷くと、頬を真っ赤に染めて囁き返すのだった。


「数馬、だいすき」



君が怪我をすると僕まで痛いんだ。
でももし君が怪我をしてしまったら、絶対に僕が治すから。


だからどうか、君はずっと隣りで笑っていて。


130702



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