冷たい喉を切り裂いて夜明けの君に逢いにいこう 善法寺伊作くんとは、それなりに長い付き合いになる。彼がこっちに越してくる前だからもう三年くらいだろうか。彼が私の家にいる光景は、すっかりお馴染みなものになっていた。 「名前さん、これお薬です」 「伊作くんありがとう」 「仕事ですのでお構いなく。それに、名前さんの為だから喜んで」 にっこりと、今日も優しい笑顔を浮かべる伊作くんに私も微笑み返す。彼には定期的にうちへ来てもらい、こうして診療と薬の提供をしてもらっている。伊作くんは薬師をしている青年で、出会った頃からずっと調子が良くならない私の掛かり付け医となってもらっているのだ。 「うん、経過はいいですね。また薬、置いていくのでちゃんと飲んでくださいね。・・・ところで先日、貴女を訪ねた男が居たと耳にしたのですが」 柔らかな口調に、後半、やや刺が刺さったのを感じた。私は伊作くんの言葉に、どきりとする。伊作くんはかなり遠くまで足を運んで薬を売っているようだから、気づかれないと思ったのだが。私は、探るような彼の視線をやんわりと躱す。 「ああ・・・父の昔の友人という方が来たんです。父が亡くなったのは知らなかったみたいで。だからお墓の位置を教えて、お線香だけ上げてもらって」 「そうですか。でも、きっと名前さんを心配して保護を申し出たりしてくれたのではないですか」 伊作くんのその発言に、嗚呼、と私は諦めて肩の力を抜いた。どうやら人伝に聞いただけではなく、実際本人からも聞き出し済みのようだった。この様子では、今更私が何を言っても結末はかわらないのだろう。 「駄目ですよ名前さん、僕以外の男を受け入れたら」 案の定、くすりと笑って伊作くんは私の頭をそっと撫でる。優しく、壊れ物を扱うように。そして静かに彼は言う。 「名前さんが思っているよりずっと、外は恐ろしい。貴女なんてすぐに、騙されてしまうでしょう。忍者なんて輩も、そこらじゅうにいるんです。物売りに見えても、それは忍者の変装かもしれない。人は疑ってかかったほうがいいくらいだよ」 両親が早々に死に、身よりもなく病気を患う私は、今殆どこの青年によって生かされているようなものだった。それは医療面でも、生活面でもだ。どうしてそこまでしてくれるのか、わからない。聞けば「それが僕の役割だからね」というお決まりの文句が返ってくるのだろう。 それでも私に分かるのは、私が気に入られていて、そして彼は私を外へ出したくないのだろうということである。 極端に禁じられた外部との接触。知らない人と少しでも話そうものなら、伊作くんは口うるさく私に警戒を促す。だから私には、彼の他に頼る人が見つからない。私には伊作くんしかいないのだ。 「でも私も、そろそろ世間というものを知るべきかもしれないと、思うのよ」 「どうしてそう、思うのです」 「・・・少しだけ怖いの。死んでしまったら何もできなくなってしまう。私は身寄りがないから、頼れる人は少しでも居たほうがいいから。伊作くんだって、いつまでも私の世話をしていては、だめよ」 お得意様で、すっかり気の許せる友人同士でも、死後の面倒まで見てもらうわけにはいかない。そう言った意味でも、伊作くんと距離を起きたい旨をさり気なく主張する。しかし、彼はいっそう笑みを強めて私に近付く。 「大丈夫ですよ。僕はいつまでも名前さんを助けるから。病状だって次第に良くなりますよ。原因も、今にわかるはず」 伊作くんの指が、私の頬を撫で、そのまま首筋を辿る。喉元の圧迫感に、自分の疾患を思い出した。 今は収まっているけれど、咳が酷いのだ。だるいし、力も入らない。原因不明の病と伊作くんは言っていた。丁度彼と出会った頃から私は、この症状のせいでろくに家から出られなくなってしまった。 それでも最初の方は、近所の人も色々世話を焼いてくれた。でも伊作くんはそれをよく思わなかったし、私に深入りしかけた人は、次から姿を見なくなった。 ――だから、うっすらと自分の現状はわかっているのだ。妙な好かれかたをしてしまったと。困ったことに、それをわかっていても対処のしようがないのでは仕方ない。第一、私は彼を失ったら生きていく術がなくなってしまう。どうしようもない、矛盾。 「もし助からなくても、コーちゃんと一緒に、いつまでも手元に貴女を置きますからね」 ぎゅ、と握らたれた手。冗談めかして言われた言葉は、きっと全く冗談などではないのだろうと思う。 伊作くんの瞳は色を失っている。光の灯らないそれに見つめられながら私はそっと目を閉じた。ああ彼には、もう見えていない。何もかも手遅れな程に、病状は深刻なようだった。 冷たい喉を切り裂いて夜明けの君に逢いにいこう (貴女のためならなんでもしますだから僕になにもかも託してください僕だけが貴女のそばにいますからだってあいしているのです) 130403 |