酸素と窒素ときみの腕 彼女を手に入れる為にはどうすればいいのだろう、と考えた結果。世間体やら対面やらを重んじる我が国の風土では、外堀から埋めていくのが一番効率的だと思ったのだ。 「名前、お義母様からお手紙が届きましたよ。婚姻が目前とはいえ、はやく子を、など気が早くて困ってしまいますね」 言いながら、差し出した封筒には彼女の母親の名があった。彼女は私の言葉に困ったような表情をしながらも、それを受け取った。手紙の内容は、既に確認済み。少し前に同棲を始めた私と名前の近況と、来月に控えた結婚式のことを尋ねたものだ。名前もそれを読みながら、少し渋い顔をしている。 「先生、私・・・」 「名前、いい加減先生はやめなさい。敬助と呼んでください」 彼女の言葉を遮り、その頬を撫でてやる。いきなり触れたからか、びくりと身体を揺らす彼女に思わず笑みが溢れてしまう。 名前と私は、高校の生徒と保健教諭として出会った。今はもう彼女は生徒ではないし、恋人という関係なのだからといつも言っているのだが、昔の癖が抜けないのか先生と呼ばれることが多いのである。嫌なわけではないが、やはり名前で呼ばれたい思いも強い。 「そうそう、あの土方くんも披露宴に来てくださるそうですよ。近藤校長は勿論、原田先生や永倉先生も一緒に来てくださるとか。そんなに大掛かりなものでもないですし、お気持ちだけでと言ったのですがね。彼らは、貴女のこともよく評価してくれているようですから」 話しながら、同僚たちに名前との婚約を伝えた時の反応を思い出す。名前は学園でも優秀で教師受けの良い生徒だったので、印象が強かったのだろう。祝福されつつも、かなり驚かれたのだ。 「雪村くんだって、喜んでくれているそうではないですか。沖田くんや藤堂くんも連れてきてくれるというので、いつでも遊びに来るように言っておきましたよ」 今でも訪ねてきてくれる教え子たち、その中でも雪村千鶴は名前の大親友だ。最近名前は携帯電話を所持していないので、連絡は取っていないだろうと、私が雪村くんにも招待状を送った。 その他にも、私と彼女の共通の知り合いは手当たり次第に招待したのだ。皆の手前、そんな大した催しではないからといったものの、やはり私と彼女の大切な記念の式。幸せな門出を色んな人に祝ってもらえたらと思う。名前もきっと喜んでくれるだろう。 名前は私をじっと見つめる。その表情は少し曇り気味で、不安そうな瞳に誘われるままぎゅっと抱きしめてやる。強ばる身体。まだ慣れていないらしい。少しずつ慣らしてはいるのだが、今後はもっと積極的にスキンシップを取るべきだろうか。 そうして、彼女を抱きながら私は彼女に止めの一言を投げる。 「これでもう、私と貴女が相思相愛であることを疑う人は居ません」 名前は、びくり、と一層身体を固めた。 皆が驚いた私と名前の突然の婚約。それは、そうだ。私たちは最初は付き合ってなどいなかったのだから。でもずっと私は、彼女が欲しいと思っていた。彼女が在学中はなんとか繋がりを持とうと、必死になったこともあった。 転機が訪れたのは名前が卒業してすぐ、私を訪ねてきてくれたからだ。悩みを聞いて欲しいと言った彼女を言いくるめ、家に連れ込み、無理やり関係を持った。それから、ここまで漸く漕ぎ着くまでは苦労した。彼女はどうしても振り向いてくれそうにない。だから周囲に噂を広め、彼女を何度も呼び出し、あたかも恋人であるかのように追い詰めた。 「名前、これでずっと一緒にいられますね」 今となっては、私と名前は公認の仲というもので。 半ば閉じ込めるようにして同棲暮らしをしていた彼女と、ついに来月は婚姻する。もう初期のように派手に抵抗されることもないし、名前も私との婚約はまんざらではないのかもしれないとすら思う。 「ふふふ、乗り気でないのは分かりますが。すみません、貴女を離してはあげられそうにない。愛していますよ名前」 抱きすくめ、耳元で囁く。ああ、可愛い。震えるその姿もたまらない。もしかしたら私は、とんでもなく嫌われているのかもしれない。でも、もう彼女には頼る家族も友人も居ないのだ。全て私が味方に付けてしまったのだから。 (私が貴女のすべてだ) ほんのりとした支配欲に酔いしれる。歪んだ愛情だと言われても良い。私は名前といられればそれで、幸せなのだから。例え名前が私を愛していなくても、構わないのだから。 その時、彼女の腕が私の背中に回った。 つい驚いて拘束を緩める。今までこんなに積極的に彼女が私に触れたことは、なかったのだ。ぎゅう、と私を一度抱きしめた彼女は、少しだけ身体を離す。そして私を見上げた。その表情は、意外にも明るいものだった。 「山南先生ってば、本当に私がだいすきなのね。でも思ったより時間がかかったわ。もっと早く結婚まで、してくれると思ったの」 「・・・名前・・・?」 「先生は前から人気ものだし、手に入れると飽きてしまう人でしょう。ふふ、でもこれで私は先生のものに成れるのね」 軽やかな口調で言い放った彼女。 思わず身を引きかけるが、それは名前が抱きついてきたことにより、難なく阻止される。 「だいすきよ、敬助さん」 さて、囚われたのはどちらだろう。 酸素と窒素ときみの腕 130330 |