もう待てない 名字名前は優秀なくノ一として忍術学園を卒業した。しばらくフリーで活動した後、戦忍専門のくノ一として名を挙げた。僕はいつだって彼女を誇り高く思っていた。だって名前は、僕の一番大切な人だったから。 どうしようもなく不運な僕を、救ってくれたのはいつも彼女だった。卒業後もずっと隣りで彼女は笑ってくれた。こんな素敵な女性が僕の伴侶だなんてとんでもない幸運だから、その為に僕は全ての運を使い果たしてしまったのではないか、と本気で考えた程だ。 でもそれは、遠い室町時代の話。 戦で命を落とした彼女、すぐ後を追った僕。何の因果か、僕は善法寺伊作のままに新たな生を受けた。 「善法寺くん?」 困ったように眉尻を下げ、此方を見上げる女の子。特徴のないデザインの、ブレザー型の制服を身に纏っている。僕には見慣れた、所属高校のものだ。伸ばした黒髪を片方の耳の横で結った彼女は、どこにでもいる平凡な女子高生。しかし僕には、今も彼女が忍び装束を纏った姿が鮮明に思い出せた。 「すまない・・・」 僕はというと、彼女の手を掴んだまま何も言えずにいる。突然呼び出され、人気の無い校舎裏で窓際に追い込まれた状態の彼女は、きっと僕を不審に思っていることだろう。だって、僕と彼女は少し仲が良いだけのクラスメートなだけなのだ。・・・少なくとも、彼女にとっては。 このような彼女を怖がらせるような真似、本当はしたくない。だけど最早これ以上、自身の衝動を抑えきれなかった。 かつて忍者だった僕は、平成という平穏な世に生まれ変わった。それは僕だけじゃない。かつての仲間たちもであった。 ただ、全員が昔を覚えているわけではなかったのだ。僕は覚えていたけれど、留三郎は覚えていない。仙蔵は覚えていても、文次郎は覚えていない。長次は覚えていても、小平太は覚えていない、というように。 そして、名前は覚えていなかった。 「名前は、僕と初めて会った時に何も思わなかったのかい」 この事実が発覚した時、仙蔵・長次と話し合い、決めたのだ。無理に過去を思い出させるのは止めようと。既に新しい人生なのだ。最期が悲惨だった者もいる。わざわざ思い出させる必要もないし、思い出せるかどうかもわからない。だから、僕も名前に対してただの友達として接してきた。 「僕はね、たまにあるんだ。既視感というか遠い昔の友人に再会したような、不思議な感覚がさ」 彼女が僕を覚えていなくても、再び生まれて平穏に笑っているというだけで嬉しかった。これ以上多くを望む必要はないと、僕は自分に言い聞かせた。・・・最初は。 人の欲というものは、果てしないもので。次第に我慢できなくなった。今の僕は彼女にとって、クラスメートの中のひとりでしかない。昔は僕を一番に見てくれていたのに、今の彼女は違う。 わかっている。僕が弱いんだってこと。でもどうしようもない。こんなに苦しいと思わなかったのだ。僕がこんなに名前を愛していたこと、今更になって気づいたのだ。 「すまない・・・意味の分からないことを言っている自覚はあるんだ」 彼女は黙って僕を見つめている。勢い余ってこんなことをして、どうする気なのか。自分でもわからない。 しかし、彼女を見ているうちにだんだん情けなくなってきたのは事実。いい加減、諦めないといけないのに。 「はは、僕はいつもで経ってもどうしようもないなぁ。とんでもなく不運なのは、死んでも治らなかったしさ」 「善法寺くん」 「・・・今の、忘れてね」 「善法寺くん!」 彼女の手を離す。誤魔化すように笑って後ずさったら、今度は名前が僕の手を掴んだ。驚いて彼女を見下ろすと、名前は困惑した表情で口を開いた。 「私、よく解らないけど」 そして、強い口調で続ける。 「善法寺くんの不運くらい、私は引き受けられると思う。よく解らないけどそう思うの。だから、ね。元気出してよ」 ――伊作の不運くらい、私が引き受けるよ。 遠い昔に言われた言葉が、重なる。 名前はもう忘れてしまったのに。既に異なる人生なのに。 「名前、」 「うん?」 「・・・ありがとう」 「どういたしまして」 ようやく絞り出した言葉は、滲んだ。こぼれる涙をそのままにして彼女を見つめれば、宥めるように背を叩いてくれる。 もう以前の君ではないけれど。 嗚呼・・・やっぱり君は、君の中に居た。 もう待てない 120228 |