溶けないように眠るのさ


庭先に現れたその人影には、見覚えがあった。まさに威風堂々といった立ち姿、黒々とした背中は相変わらずがっしりとしていて見惚れてしまう。


「春風さま」


呼びかけてみる。すると、やっぱり振り返ったのは高杉晋作その人だ。

春風、は高杉さまの諱。私はその名を呼ぶことを許された、数少ない人の一人だった。長州藩家老という身分に生まれた彼と、下級武士の娘の私。身分に大きく隔たりがありながら、私は彼と密かな恋仲であった。

しかし乱世である。
高杉さんは奇兵隊を率い、長州藩を挙げて闘っていた。そして龍神の神子様の八葉に選ばれ、世界を救ったのだ。
中々会えなかったけれど、彼を誇り高く思っていた。僅かな逢瀬を楽しみに、私はいつでも待っていられた。


――ただし、これは生前の話。
幕末と呼ばれた時代を駆け抜けた彼は、最期には病魔に蝕まれて世を去ったのだ。闘いの過程、人の身に余る力も使ったという。それが死期を早めたのだとも噂された。
坂本殿だとか小松殿だとか、大層な面々が彼の葬列の中にいた事を覚えている。確かに私は彼の死を理解し、彼の為に祈った。

すると、今私の前に居る高杉さまは、最早以前の高杉さまではないのだ。つまり、彼は死人。きっと幽霊とかそういった類のものなのだろう。


「・・・名前か」


高杉さまは私を振り返り、柔らかに目を細めた。それがあまりに自然な、生前の彼そのものだったものだから嬉しくなってしまう。彼の視線を辿り、私も梅の木を見上げた。


「花、もう散ってしまったのです」

「そうか」

「ええ、今年は早咲きで」


温かい日溜まりの中で交わす、なんてことのない会話。ずっとこうしたくてたまらなかったことだけれど、終にできなかったことである。どうして良いやら、なんだか分からなくなってしまった。


「久しぶりに会ったような気が、いたします」

「ああ・・・そうだな」

「ずっと、貴方に会いたかった」

「すまない。だが、これからは共に居られる」


相分からずそっけない言葉。ぶっきらぼうで、強引で。でもそれが堪らなく愛おしくて、悲しかった。次々と想いが溢れる。でも彼は、もう死んでいるのだ。共に居られるわけがないではないか。
黙って私の涙を拭ってくれる高杉さまを、私は見つめた。そして、告げる。


「怒らないで聞いてください・・・・・・貴方は、もう死んでいるのです」


きっと気付いていないのだ。己の死を認知していないで、この世に留まっているのだ。彼は自分の死を嘆くだろうか、聞き入れないだろうか。真実を、伝えることが得策かは分からない。でも私は、黙っていられなかった。このまま、気づかぬままに共に居るのは幸せだとしても、虚しいだけだから。

しかし私の覚悟に反して、彼はただ少し、納得したように頷いただけだった。


「そうか、なるほど合点がいった」


それから、続ける。


「俺の腕の中で死んでいったお前が、平然と生きているわけ、ないからな。俺にお前が見えるということは、俺も死んだということか」


驚くのは私の方だった。


「私が・・・死んでいる?」

「なんだ。お前も俺と同じく、自分の死を認知していなかったか」


思いにもよらないことに、動揺する。高杉さまは、硬直する私を腕のなかに抱き込むと、ぽつりぽつりと話す。


「全ての闘いが終わったすぐ後、俺はお前を迎えに来た。だが、お前は流行病に倒れ虫の息だった」


生きているのが不思議なくらいだったらしい。そして彼が駆けつけたのを安堵よしたように、私は―――


「名前は俺を、ずっと待っていてくれた。名前が居たから俺はずっと闘っていられたんだ」


・・・そういえば。苦しかった咳も身体の痛みもない。そう思った瞬間、すとんと事実を許諾した。


「私・・・」

「心配する必要はないだろう。俺たちは、同じなのだから」


高杉さまは私を抱く腕を、解く。


「名前、俺と共に来い」


右手を差し出し、笑った。


「暗い黄泉路、俺が必ずお前を守る。だから今度こそ、一緒に来てくれないか」


ずっと、一緒に居たかった。本当は待つのは嫌だった。私も共に闘いたかった。夢にまで見た、彼からの誘い文句に涙が溢れる。


「はい、春風さま。喜んでお供致します」


手を重ねる。強く握られ、握り返す。
私たちは光の中を逝く。



彼と共ならば、辿り着く先がどこであろうと、私は幸せなのだろう。




溶けないように眠るのさ



130225



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