ありふれてる大切なこと


猫が凍えそうだったので、そのついでです。
ある屋敷のすぐ側で途方にくれていた斎藤一を招き入れたのは、年若い女中だった。雪の降る寒い日である。まだ日暮れ前だというのに町に人影はない。しんしんと舞い落ちる白とどんよりとした雲の下では、仕方のない話かもしれない。

突然振り出した雪は、人々の足を止めた。寒さと視界の悪さ、歩きにくさにとてもではないが出歩ける状況ではない。斎藤にとっても例外ではなく、近くに宿屋もなくどうしようかと思っていたところだった。

薄い桃色の前掛けをした彼女は、斎藤を離れのこじんまりとした部屋に通した。


「寒いでしょう。今、火鉢と温かい飲み物を持ってきますから。其処の手拭いで雪を落として待っていて下さいな」

「いや・・・そこまでしてもらう必要は、」

「あら、貴方に言ったのではないわ。猫さんに言ったのよ」


彼女はくすりと笑って、胸に抱いた猫を斎藤へと手渡す。仕方なく猫の雪を落としてやると、にゃあ、と機嫌良さそうに猫は斎藤の手を舐めた。


「この天気では、今夜はご主人様たちはお戻りになられないでしょう。お泊めすることはできないけれど、雪が収まるまでは居て下さいな」


彼女は名前と名乗った。この屋敷でただ一人の女中であるという。女中といっても屋敷の奥方は彼女と知己の仲であり、その縁から女中を引き受けたらしい。


「不用心だ。女、一人きりの時に見ず知らずの男を招き入れるなど」


火鉢を抱えてきた名前に、斎藤は顔をしかめて言う。親切にしてもらい有り難い事は確かだが、斎藤のような浪人崩れを招き入れるとは、些か慎みに欠ける行為だ。
それに名前からは奥ゆかしい印象を受け、理由なくそのようなことをする女とは思えなかったのだ。何か裏があるのでは、と疑ったのである。
すると彼女は、恥ずかしそうに笑った。


「実を言うと、貴方のことは知っていたのです。一本向こうの通りの、鍛冶屋に度々来ていたでしょう。だから、勝手に顔見知りのような気分になっていたんだわ」


それを聞いて、斎藤は僅かに目を見開く。確かにひと月程前から、度々この辺りを歩いていたのだ。

(では彼女は、俺と知って手を差し伸べたのか)

嘘を吐いている様子はまるでない。信用できる。安堵したと同時に脇があった疑問を、温かいお茶を進める名前に問いかけた。


「俺は、人目に付くほど目立つだろうか」

「どちらかといえば、目立たない方じゃないかしら。でもどうしてでしょうね。つい貴方を目で追ってしまうの。今日も、屋敷に入れるつもりはなかったのに」

「それは・・・ほかの男にはするなよ」


先程とは少し異なる意味合いで、斎藤は念を押す。妙齢の女にそんなことを言われ、何も心が動かないわけがない。斎藤も男である。自分のような自制の効く者だから良かったものの、これは大胆な誘い文句と取られても可笑しくない言葉だった。
彼女もそう思っていたのか、頬を赤く染める。


「そうね、はしたないし、用心が足りなさすぎたわ」


名前は猫に魚の切れ端をやると、斎藤の向かいに座り繕いものを始める。斎藤はその様子をじっと見つめたまま口を閉ざし、完全に会話は途切れた。
実に静かな空間である。
京へ上がってからこちら、こんなに穏やかな時間を感じるのは初めてだ。そして、初めて言葉を交わし合った者同士であるのに、沈黙を苦痛に感じることはない。それが不思議であり、けれども敢えて追求する必要はなく思えた。

斎藤は、膝の上に居座った猫を撫でてやりながら、ぽつりと呟く。


「・・・だが、あんたに会えて良かった。ありやとう」


名前は繕いものの手を止め、柔らかに笑った。


「夕餉もどうぞ、食べて言って下さいな。まだ外には出れないでしょう」


しんしんと降り続く雪を眺める。どうしてだか斎藤は、まだ止まなければ良いのにと思った。



ありふれてる大切なこと



130225



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