終わるなんて言わないで


自分ではそのつもりはなかったのだが、学生時代から俺はプレイボーイで通っていた。そのせいか、ミーハーな女子からはやたらと構われ、逆に一部の女子からは避けられていた。
だが、それを俺が知ったのは卒業式の日である。


「土方くん、ねぇ」


式も終わり、各々が世話になった先生や後輩たちのもとへ散り散りとなった。かくいう俺も三年間入り浸った部室に顔を出し、委員会の後輩たちに囲まれ、ようやく解放されたのは下校時刻間際だった。

最後に教室に戻ってきたのは、忘れ物を思い出したからだ。
しかし教室の手前で、俺の足は止まる。教室には数人の女子が残っていて、いわゆる恋バナを繰り広げていたのだ。クラスメートの、大人しめの女子グループである。俺とはあまり関わりはなく、交流は挨拶をする程度だ。その日もさっさと忘れ物をとって帰ればよかった。しかし、入室を躊躇ったのは自分の名前が出たからである。


「まぁ格好良いと思うし、優しそうでもあるけれど」


その声に、どきりとする。
すぐに名字名前とわかった。何を隠そう、俺はずっと彼女に片想いをしていた。しかし結局彼女との接点はないまま、卒業式を迎えてしまった。
――実をいうと先程までも彼女を探していた。告白までとはいかなくても、連絡先くらい知りたいと。

いいチャンスだ、その時俺は思ったのだ。もし彼女が俺に対して好印象を抱いていれば、あわよくば告白・・・だなんて。しかし次の瞬間。


「土方くん、私はちょっと苦手かも」


俺の高校時代、唯一の恋はあっさりと打ち砕かれたのだった。


*


期待していたわけではない。
もう十年も前の話だ。この十年は、高校卒業までの十年よりも遥かに濃い月日だった。しかし俺の生活は、皆に噂される程色恋沙汰があるわけではない。時折付き合いで合コンなんかに連行されることはあったものの、特定の相手は現れなかった。


「名字、彼氏いないらしい」


卒業から十年のタイミングで催された同窓会。俺が高校の同窓会に参加するのは、これが初めてである。
左之助に耳打ちされて、つい奴の指差す方向に目をやる。端の方に控えめに座る女性が見えた。


「名字、綺麗になったな。あれで恋人ナシとか、早くしないと他の奴らに取られるぜ」

「・・・ものじゃねえだろ」

「そう思うなら早く行け」


強引に、奥の席へと追いやられる。丁度、元担任の教師が到着したタイミングで、誰もが俺が席を変えたことに気を留めなかった。

奥の席は、既に何人か潰れている中央あたりの席とは雰囲気が異なっていた。緩やかで落ちつちた会話が交わされている。名字は特に話に参加していたわけではないらしく、時折相槌を打ちながら口に手を当てて笑っている。


「土方くん?」


俺が隣に腰を落ち着けると、彼女は目を丸くした。一瞬、あの卒業式の日を思い出して拒絶されるのかと身構えた。が、彼女はふわりと微笑んで俺に向き直っただけだ。


「久しぶり。私のこと、覚えてる?」

「あ・・・ああ、もちろん。名字だろ。あんまり変わらないな」

「それって私が幼いってことかな?」

「いや、そういうわけじゃ」


ちょっと頬を膨らませた名字に慌てると、冗談だと笑われた。


「土方くんは相変わらず――いや、更に格好良くなったね」


ごく自然に出された褒め言葉に、お世辞だとわかっていても心臓が跳ねた。仕方ない――未だに俺は彼女への未練を捨てきれてないらしい。


「なんだか緊張しちゃう。人気者の土方くんを私が独占しちゃって、贅沢な気分」

「なんだよそれ。人気者になった覚えはねぇ」

「あーそりゃそうか。女の子が勝手に騒いでただけだもんね」


一度意識すると、次から次へと想いが溢れる。彼女は、高校時代から全く変わっていなかった。否、確かに大人になってはいる。でも俺が好きになった彼女の素朴さは、そのまま。


「それジュースか?」

「あ、うん。私すぐ潰れちゃうから。空気読んでなくてごめんね」

「いや俺も、あんまり酒得意じゃねーから」


酒の席でジュースを手に和やかに話をする俺たちは、二人だけ別世界にいるような気分だった。それが嬉しくて、つい浮き足立つ。


「名字は、今何してんだ?」

「普通の会社員だよ。土方くんは?」

「・・・教師」

「へえ!それはびっくり!」


名字の反応も、悪くない。今がチャンスかもしれない。俺は意を決して気になっていたことを、切り出した。


「――俺、あんたに嫌われてるかと思ってた。高校時代は接点全然なかったし」


すると名字は言葉を詰まらせた。目を泳がせ苦い顔をする彼女に、嫌な結末を想像して心臓が早鐘を打つ。すると彼女は手を合わせて、ごめん、と呟いた。


「あー・・・・・・あのね、実は仲良しだった子がずっと土方くんが好きだったの。それで、あまり仲良くなったら悪いなって思ってて・・・・・・ごめんね、嫌な思いさせちゃったかな」

「か・・構わねぇよ、嫌われてないなら、全然」


その子は先月結婚しちゃったんだけどね、と苦笑い。・・・良かった、嫌われていたわけではないのか。あの日の言葉も、それが原因か。思ったら気が抜けた。長年刺さっていた棘が抜けたような感覚である。


「名前〜!」


遠くの席から女子が名字を呼ぶ。名字は、はっとして腰を浮かせた。


「ごめん、行ってくるね」


にこりと笑んだ名字。俺は慌てて、つい彼女の腕を掴む。


「土方、くん?」

「悪い、あの、だな」


目を見開いた彼女に、何を言えばいいか口ごもってしまう。駄目だ、このままじゃ、このまま彼女を行かせてしまったら、またあの日の繰り返しになる。


「頼む、・・・連絡先、教えてくれないか・・・?」


情けないことに、絞り出せたのはそれだけだった。
名字は瞳を丸くしたまま、いいよ、とすんなりスマホを取り出す。赤外線通信。ものの数秒で、あれほど焦がれたアドレスが追加された。


「連絡、するから」

「・・・うん」


名字はひとつ頷くと、席を立った。

今はこれで精一杯。彼女とこんな近くで話したのも初めてだったのだ。告白はおろか、アドレスを聞くのがやっとだった。

後輩や生徒たちからは「鬼の教師」なんて言われる俺が、なんて様。まるで思春期に恋をした、どうしようもないやつとおんなじだ。


(しょうがねえか。あの頃の恋を、きちんと終わらせられなかった俺が悪い)



だから必ず、必ず今度は、思いを伝える。今度は、逃げずに当たって、その結末を見届けようと思う。




終わるなんて言わないで
(何もしないまま終わるなんて、もう耐えられない)


130210



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