▽はやくしないとなくなるよ あっという間に夏休みも最終週。相変わらずだらだらと過ごす中、誘いをかけてきたのは悪友のひとりであった。 「元気?まだあっついよね」 「おー、ダレるよなァ」 彼女と話すのは、休暇前の終業式ぶりだ。普段は面倒で携帯電話への着信など無視を決め込む不知火だが、珍しい相手からの名前が表示されたので思わず手にとったのである。 日が暮れてもなお、暑さの収まらない空を眺め、生ぬるい風を求めて窓を開ける。適当に相槌を打ちながら、名前の様子を想像してしまい、笑う。 「お前、どうせこの夏殆ど外出てねーんだろ」 「うっさいわねー」 名前は、いわゆる幼馴染である。不知火はついキツイ物言いをすることが多く、女子には怖がられている節がある。けれど名前は、そんな不知火に真正面から物申すことのできる気の強い女だ。昔からなんだかんだとつるむことが多く、しかしだからなのか、最近会っていないことにすら気づいていなかった。 「で、わざわざ電話かけてきて、何か用か?」 「今週の日曜日ヒマかなぁって思って」 「特に予定はねぇけど」 「良かった!花火大会あるじゃない、ヒマだったら一緒に行こうよ」 「デートの誘いか?」 「馬鹿。他にも何人かいるよ」 受話器の向こう側で、あっけらかんと名前が笑う。しかし、彼女が中心となって何か計画することは、珍しいことだった。明るく元気な印象の強い名前だが、いつもは他の女子の背後で調子を合わせていることが多いのである。それを言うと、ちょっと得意気な声が返ってくる。 「先週、大鳥くんと映画見に行った時に思いついたの。一回くらいは皆で騒ぎたいじゃん」 「そーかよ。・・・って」 あっさりとした言葉のなかに、聞き逃せない単語を見つける。大鳥、と物腰の柔らかい社交的な男子生徒が脳裏に描き出される。 「映画、二人で行ったのか?!」 「え、うん。前から行きたいって言ってたやつ、チケット余ってると誘われたから」 舌の裏側に苦味を感じる。胸の奥がずん、と重くなった。 意味不明な不快感に眉間に皺が寄るのを自覚しながら、口から出たのは恐ろしく低い声だ。 「付き合ってもねー男と、二人きりで暗がりって、マズいんじゃねぇ?」 「男って・・・クラスメートだよ。しかも、大鳥くん」 「あいつだって、男は男だ」 「それじゃあ、匡といつも一緒に寄り道するのも駄目じゃない」 大鳥、というクラスメートを思い出す。とにかく、誰が相手でも上手く付き合っていくやつだった。不知火は特に彼を気にしたことはなかったが、何故か憎たらしく思える。 「お、俺はいいんだよ!何もしないからな」 「何も、しないんだ」 不思議そうに繰り返した名前は、ちょっとだけ笑って反論する。困惑したような声。 「大鳥くんだって何もしないよ」 それがまた不快に感じて不知火は徐々に言葉数が少なくなる。そのままいくつか言葉を交わして、通話は切れた。 (俺、なにしてんだ) 今しがたのやり取りを、脳内で反芻する。どう考えても不知火に非がある。わけのわからない不調で、苛立ちを相手にぶつけるだなど。どうして名前にあんな事を言ったのか。違和感は不知火の心から消えない。 (嫌だ。自分の知らない場所で、他のやつと二人で笑っている名前が) 名前の言うとおりだった。大鳥も不知火も、彼女のクラスメートには変わらない。不知火は幼馴染ではるが、それだけである。彼女は他の男子とも、仲が良い。大鳥は軽薄な男ではないし、女子には平等に優しい。映画の件だって、恐らく下心はないのだろう。なのに。 (なんなんだよ、ちくしょう) 言葉にならない声が、喉の辺りで燻る。 そのまま結局答えは出ず、時間ばかりが過ぎるのであった。 「あ、ごめんね一人だけ」 日曜日。言う割りにはちっとも申し訳無い様子はなく、名前は不知火を手招く。メールで、約束の時間より早く呼び出された。場所取りらしい。 「なんだ、浴衣じゃねーのか」 「自分じゃ着付けできないし、動きにくいもん」 「お前不器用だもんな」 「うわっ、酷い」 キャミソールにショートパンツというややボーイッシュな格好で、名前は頬を膨らませる。と、不知火に寄り添い目を丸くした。 「あれっ匡、背伸びた」 「そうか?」 「絶対そう!夏前はこんなに差、なかったのに」 見下ろした彼女が随分小さく感じる。こんなに彼女は小柄だっただろうか。 つい、白い二の腕や首筋、脚に目がいき慌てて目を逸らした。柔らかそう、というより露出が激しい。今更だけれど。 そんな挙動不審な不知火を、きょとんとしながら名前が見上げるものだから、たまらない。 たまらなく、彼女が。 (あー・・・そういうことかよ) 唐突に合点がいき、拍子抜け。情けない己の葛藤に、笑いが込み上げた。 「名前、不用意に男と二人で出掛けたりすんなよ」 「あっ、またその話。じゃあやっぱり、匡とはもう寄り道して帰れないね」 「俺はいいんだよ」 「何もしないから?」 電話口で伝えた言葉を、寸分違わず名前は繰り返す。面白がるような彼女の声色に、しかし不知火は首を横に振る。 「何かしても、責任取るから、だ」 聞こえるか聞こえないかの音量で呟く。名前の顔は見ない、見れない。自分がどんな顔をしているか、相手がどんな表情か想像もつかないからだ。 代わりに見上げた空には、絵に描いたような青と白。俄かに上昇した体温を逃がすように、息を吐く。 甘くも苦い感情を、自覚した夏の日。 何かが始まって、何かが終わった音がした。 120904 5周年フリリク、黒峰さんに捧げます。 |