コーヒーカップ


「うわ、的場式結界は相変わらずきっついな」


第一声、名取の言葉に私は苦笑いを浮かべた。完璧に張られた結界は、最早芸術の域である。不自然なくらい"何も居ない"空間に、的場の本気具合が垣間見えるようだと、名取は茶化した。


「これでも、周一くんの式くらいは通せるように緩和させたんだよ」

「だろうね。それでも、妖にとったら要塞並みに難攻不落だ」

「瓜姫や笹後は大丈夫?」


彼の背後に視線を向ける。空間がゆるりと揺らぎ、2つの影が姿を現した。名取の式である。


「私共は大丈夫です」

「夢子様、お心遣い痛み入ります」

「本当、夢子はうちの式たちに好かれてるなぁ」

「あはは、最初は警戒されてたけどね。的場一門の端くれだったわけですし」


この名取の式とはすっかり顔馴染みで、嬉しいことに私は気に入って貰えているらしい。式を見れば、使役人の人となりがわかる。名取に従順なこの妖たちは、彼に大切に扱われているとよくわかるのだ。

(的場とは大違いだ)

無意識のうちに浮かんだ言葉を、慌てて意識から振り払った。


「そうだ、はじめてだよね。柊だ」


と、紹介されたのは、一つ目の面をした妖だった。女性的な柔らかく、しかし落ち着いた声が好ましく思えて、思わず笑いかけた。


「名取、この方は?」

「古い友人さ。でもあまり気は許すなよ。夢子は、的場一門と繋がりが深い」


軽い口調、けれど彼は冗談で言ったのではない。その言葉は正しい。
そう。いくら的場から抜けたといっても、私と的場一門は切り離せない。血は水よりも濃い、とはこのようなときに使うべきか。だからいくら親しくても、私たちはどこかで互いに警戒し合っているのだと思う。ただ、それを隠そうとはしていない。だからかえって、最も親しい友人の位置に定着してしまったのだ。…改めて思えば、なんとも奇妙だけれども。


「それで。君の従兄弟くんは一体、何をしに来たの?」


名取は、ソファーにもたれながら私を見上げて聞いた。ちょうど先日、的場が座っていた位置と同じで、妙な既視感を覚える。


「帰り際に、これを渡しにきたって置いてった。でもまだ開けなくてもいいって」


軽く振って見せたのは、一通の封筒。至って普通の、よく売っている飾り気のないものだ。住所はなく、ただ「刈屋夢子様」とある。


「良く分からないけど、嫌な予感しかしないからまだ開けない。静司くんの筆じゃないし、的場家関係は面倒事が多いからね」

「ラブレター…ってわけではないか。ま、思う通りにすればいい。君の勘は鋭いから」


自分で聞いてきた癖に、投げやりな回答である。まぁいいけど、と封筒を適当に本の間に挟んでおく。開ける機会がないことを願いたい。
それよりも、とかねてからの問いを私は投げかけた。


「まさか、引っ越し初日に静司くんに見つかるとは思わなかった。周一くん心当たり…ない?」

「さあ」

「一応、名取家名義で借りてるでしょう。だから私の住まいが的場家の情報網にひっかかること、あんまり無いと思ったけどなぁ」


しらを切る名取を、じっと見つめる。私だって馬鹿ではない。簡単に騙されたりはしないのだ。


「君に疑われるなんて。まさか、夢子の居場所をわざわざ知らせたりはしないよ。第一、女性の家で的場さんなんかと鉢合わせなんかしたくない」


そう軽く笑い飛ばし、名取は珈琲を口に含む。この家にコーヒーカップは、自分の物と客のものと、二つしかない。名取の使っているものは、先日的場が使っていたものと同じものだ。


「…でも、他の何かから彼の目を逸らすための餌としては、十分価値があったりしない?」

「どうだろうね」


私を訪ねてくるような人は、この辺りには二人以外いない。そうなると、あのコーヒーカップは名取と的場の共有物か。
――そんなくだらないことを考えていたら、なんだかすごく可笑しく思えてきた。名取が何を隠したいのか、的場は何を狙っているのか。そんな難しい事情にあえて巻き込まれてやる義理はないか、どうでも良くなってしまったのである。

120202



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -