憂鬱への帰還


改札を抜けた途端、僅かな後悔が心をよぎった。やはり止せば良かったのかもしれない。でも予想していなかったわけではない。いずれは訪れるだろうと。
ただ、今は会いたくなかったと思ったのだ。


「お帰りなさい」


行く手を阻むように、男が立っている。
長く伸ばした髪を後ろで束ね、右目を護符で覆う、和装の男。私には見慣れた姿だったが、無知な昔の頃とは違い、それが異質な様相だということを知っている。
それに――。
視線を彼の左上にずらす。
二メートル以上はあるだろう。手足の長い、ヒトガタの黒い物体がゆらりと揺れて私を見た。式だ。私は反射的に顔をしかめて、ずれかけた眼鏡を押し上げる。


「お久しぶりですね、夢子。元気にしていましたか?」


片方しか見えない瞳が、私を見回した。


「その眼鏡は…此処では外した方がいい」


大した怪我のないことを確認し終えたのか、にこりと笑みを浮かべて言った。
その間、黙ったままの私の気分は最悪だった。彼がわざわざ出迎えに来るのを知っていれば、もう少し身なりに気を使ったものを。色褪せたジーンズにシャツ、乱れた髪を無造作に括っただけ。化粧もまともにしていない。粗方の荷物は送ってしまっていたため荷物は少ないが、これでは"あの頃"から成長しているどころか、生活の質は退化していると認めざるを得ない。
ただでさえ、私は地元に戻ってくることを散々渋ったのだ。この男にだけは、せめて立派な姿を見せていたかった。


「どうして、ここに?誰に聞いたの」

「さあ、誰でしょう?」


聞き出したところで、どうしようもできないのはわかっている。けれど、本当に今回の帰省のことは、誰にも言っていなかったのである。


「…わかってると思うけれど、私は的場に帰ってきたわけじゃない。的場には、帰らない」

「それは、困りましたね」


とぼけたように答えた彼は、一歩私に近づいた。


「夢子、聞き分けなさい。貴女が的場にいないと、私は貴女を守れない」


また一歩。
ゆっくりとやってくる彼に、思わず後退りたくなるのをこらえる。


「帰ってきなさい」

「…承服しかねます」

「強情さは、相変わらずですね。そこが、良いのですが」


彼は私を見下ろして、目を細める。
じっと歯を食いしばって見返すしかない私の心に、少し悔しさが滲む。けれども、これが格の差だと言われてしまえばそれまでだ。


「無理に連れ帰ったりするつもりは、ありません。ただ、改めて私の気持ちを伝えておこうと思っただけです」


不意に、彼の手が伸びてきた。
突然の行動に肩を竦めると、彼は僅かに笑う。


「姉さん、貴女を逃がすつもりはない」

「…静司くん、私は」

「言い訳は聞きませんよ」


頬を撫でられる。
冷たい指だった。
右頬を包むように触れたそれは、自然な動作で私の眼鏡を奪った。


「――眼鏡は、できるだけ外しなさい。見えすぎて困るという言い分もわかりますが、この地で貴女は恨まれすぎている。的場から離れた貴女は恰好の餌にすぎない」


それから的場は、綺麗に笑って私に追い討ちをかけるのだった。


「夢子、」


120107



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