望まぬ進展


幸いなことに、約六年ぶりに訪れた的場邸と記憶の中のそれとは大きな差違がないようだった。頭の片隅にある間取りを引っ張り出し、屋敷へ侵入する。改築やら修繕やらで少しは変わっただろうと思っていたので、安堵したのは確かである。

(でも、癪だな。まだ身内扱いだなんて)

私が一門から"抜けた"といっても、こちらから一方的に宣言しただけ。警戒や入邸制限は設けられていない。つまり、侵入者向けの防御装置はあっても、私には発動されないのだ。

(おかげで、難なく目的までたどり着いたわけだけど)

幼い頃から隅々まで知り尽くしている屋敷だけあり、誰にも見咎められることはなかった。


――ただ、いくらこっそり入ることができても、目的のそこで鉢合わせしてしまえば意味のないことで。



「おや、懐かしい顔だこと」

「な…七瀬さん」

「久しぶりだね、刈屋夢子」


前触れもなく戸を開けて入ってきた初老の女性を、私は顔を引きつらせて見上げる。一度安堵してしまっていたので、衝撃はひとしおだ。


「ふふ、驚いた顔。まさか察知されると思っていなかったんだろう?」

「…ええ、ここまで順調でしたからね」

「この部屋は、特別なのさ。当主と私以外が入ると自動的にわかるようになっている」


七瀬は眼鏡を押し上げた。
彼女に会ったのは私が一門抜けを宣言した日が最後。的場を、特に近年は当主を一番身近で支える人物として彼女の立場は相当高い。そしてそれに伴う実力を兼ね備えた彼女に、私も随分世話になったのだ。
いわば、祓い人としての師であり母である七瀬を前にすると、どうも調子が出ない。


「見る限りでは、私の部屋のままですけど。七瀬さんと静司くん専用だなんて、重要な物でも隠してるんですか…あ、いいです、知りたくないんで」

「まったく…わかってないねぇ」


的場の中核に関わる話なんて知りたくもない。巻き込まれるのはごめんだ。
そう思って身を引いたのだが、七瀬には凄く微妙な顔をされた。


「私、的場に帰ってきたんじゃないんです。荷物を取りに来ただけ。だから目的が済めばすぐに出ます」

「安心しな。この部屋はいじってない。夢子の私物もそのままだから、好きになさい」


七瀬は、溜め息混じりに続けた。


「もう、5年くらいになるだろう。夢子も強情だね」

「…静司くんは、未だに私を戦力に加えたそうですけどね。もう、諦めれば良いのに」


実家も諦めているのだ。七瀬さんだって、私に連絡を取ろうとしなかった。きっとこだわっているのは的場静司、その人だけなのだろう。年下の若い当主を思い浮かべる。


「ああやって、当主自らが誠意的に動くことは志気もあがって良いことだと思います。でもちゃんと七瀬さんが見張ってなきゃ彼、そのうちどこかで、野垂れ死にますよ」

「いくら私にも限度があるんだ。あの人もひねくれ者だからね。そういうのは、伴侶の役目だろう」


――その言葉に、不意打ちを付かれて一瞬、思考が停止した。伴侶。つまり、彼の妻。


「静司くん、お嫁さん貰うんですか?」


今まで考えもしなかったが、もう静司もいい歳である。特に、的場一門の当主だ。早いうちに跡継ぎがいた方が良い。
多少の衝撃はあったが、異論はなかった。ただ質問として聞き返す。しかしきょとんとしたのは七瀬の方だった。


「何言ってるんだ。夢子のことだよ」

「は?いやいや、それはないでしょ。七瀬さん、私と静司くんが恋人だとでも思ってたんですか。的違いも良いところ、」

「惚けるのも大概にしなさい――正式に決まったじゃないか」


私が的場の妻だなんて、あり得ない。もしかしたら、静司くんに一番親しい女である私とくっつけてしまおうという、年寄りのお節介なのだろうか。だがそれにしては七瀬の様子がおかしい。どうにも、私と彼女の間には大きな認識違いがあるようだ。
眉を寄せて首を捻ってみせると、七瀬は丸眼鏡の奥の目を細め、低く呟く。


「……もしや、開けてないね」


何を、とも何が、とも聞き返す間もなかった。七瀬は少し思案するように腕を組み、すぐに切り出す。


「私から言うのもどうかと思うが、的場が自分から言い出してないのなら、書面で知らされるのも今知るのも変わらないだろうね」


私はぽかんとしたまま、彼女の言葉を追っていた。とても展開についていけはしなかった。七瀬が一旦口を閉じ、僅かに生まれた沈黙を酷く長く感じる。その間にどこか遠くで警鐘が鳴っている錯覚に陥った。
次の言葉を、七瀬が告げる事実を知ってしまったらもう決して、逃れられなくなるのではないか。

そして最悪なことに、その類の予測は当たるのが常。



「的場家から刈屋家に、正式な申し入れがあったんだよ。夢子を、静司の嫁にするとね」



120328



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