受験生と歳三


「…わかんない!」


素直に勢いよく宣言したら、途端に鉄拳が飛んできた。後頭部に鈍い痛み。これ以上馬鹿になったらどうするのだと、ちょっとだけ恨みを込めてトシ兄を見つめると、トシ兄もじろりと私を見下ろした。


「コラ、そこはさっき教えたとこじゃねーか。なんで間違うんだ」

「だって難しいんだもん苦手なんだもん」

「ったく…俺が何の為にお前を個人指導してると…」


トシ兄は私の近所に住んでいる、六つも年上のお兄さんだ。親同士が仲が良く、幼いころからよく遊んでもらっていた。彼は今、教師を職業としている。私は高校三年生。けれど、あまりに勉強が苦手な私を見かねて、母はトシ兄に私の家庭教師をするように頼んだのだ。


「トシ兄はさー仕事以外でこんなこと頼まれて、面倒だとか思わないの?」

「面倒と思う以前に、お前の古典の壊滅ぶりに驚きだぜ」

「でも、ちょっとはわかるようになったよ。トシ兄、教えるの上手いよね」


ありがとうと、改まってお礼を言うとなんだか面食らったようにトシ兄は目を見開く。それから、さまよう視線。照れてるのだろうか、珍しい。


「私もトシ兄が先生してる学校が良かったなぁ」

「止せ。俺の心労が増える」


調子に乗って言ってみたけれど、その願望はいつものようにばっさり斬られてしまった。


「ほら、間違えたところ見直せ」


トントン、とプリントをトシ兄の指が叩く。私より長くて、ちょっとごつごつしていて、でも優しい指。綺麗だなと思う。それは指だけではないけれど。


「トシ兄、人の気もしらないで、ずるいよね」

「お前は、人の気なんたらより先に光源氏の気持ちを察しろよ」

「む…若紫と光源氏だっけ…えええ犬君て何者…!」


いとおかし、な古文に向かい合い口を尖らせる。はぐらかされた。勉強中に気をそらしている私が悪いのだが、私にとっては死活問題なのに。私には光源氏の恋のあれこれよりも、目の前の麗人への想いをどうするかが問題なのに。


「光源氏の心情なんてわからないよ」


この受験勉強が勝負だと思っていた。最大のチャンスだと。だから受かったら、受かったら、きっと。


「…俺は痛い程わかるけどな」


なんだか影のある笑みを浮かべてトシ兄は私を見つめる。そんな彼を前に、私は決意を新たにするのだった。



111126
受験生がんばれ!



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