其の二


「いや、悪かったね。話には聞いていたけれど、あまりに良い女だったのでつい、言葉がでてしまった」


と、上品に笑うこの男だが、今の言葉がどの程度信用できるものなのかは疑わしい。私はというと、憮然とした態度のまま彼の向かい側に座っている。
小松帯刀といえば、薩摩藩の家老である。先にも述べたように、目立つし京でもその名は通っている。こうして顔を合わせるのははじめてだったけれど、私が知る限りの彼に関する情報に間違いはないようだ。そして、噂に違わぬいい男、である。

そんな男とふたり、ありふれた料亭の一室に居る。私としてはこんな仰々しい場所で彼と二人きりなんて避けたかった。でもそうもいかないだろう。小松殿は有名人であるから、人目がつくような場所でおいそれと話などできない。それに私としても、織部文鬼の名を出されたら無下にはできない。一応、文鬼の正体は世間には明かしていないのである。
だからこそ、文鬼の正体を突き止めた者には無条件で協力する。自分で決めた決まり事だ。だが、この男が何を要求してくるのかに、少々懸念は払拭できない。


「薩摩藩の未来を握るとも噂されるご高名な小松殿にお声掛けいただけるなんて、光栄至極に存じますわ」

「それはよかった。君の言葉と表情が一致していないことを除けばね」


指摘されるも、改めるつもりはない。往来での彼の発言は戯言と容易にわかるものではあったが、通りがかりの者が誤解でもしたらどうするのだ。私は、そんないざこざに巻き込まれるのはごめんだった。
それにしがない随筆家といえども、暇なわけではない。特に昨今は、どんどん世の情勢は悪くなる一方である。こんな時にこそ、随筆家としての腕が試されているように思えた。


「それで。小松殿は私に――文鬼に何を望んで接触したのです」


私は単刀直入に切り込むが、彼は「まあ、焦らないでよ」とゆったりとした動作で眼鏡を押し上げる。
この料亭は彼の馴染みの店だという。私を呼び止めた小松殿は、有無を言わさぬ様子で私をここへと連れ込んだのだ。だから彼にはそれなりに私に、文鬼に用があるのだろうが、一向にそれを話そうとしないまま時間ばかりが経っていく。

いい加減、焦れて腰を上げかけたとき、スッと戸が横に滑った。


「小松さんっ!それにカオルさん、お待たせしました…!」


聞き覚えのある声に、顔を上げる。


「ゆきちゃん?」

「君、遅いよ」


私と小松さんが声をあげたのは同時である。やってきた少女は紛れもない、龍神の神子のゆきちゃんだ。彼女は私と小松殿を見て、ぺこりと頭を下げた。それから、私の前までやってきて膝を付くと、可愛らしく「お久しぶりです」と微笑んだ。


「ゆきちゃん……ええと、どうしてここに?」

「小松さんに連絡を貰って。あの、実は――小松さんも、私の八葉のひとりなんです」

「そう。私は彼女から君と織部文鬼が顔見知りであると聞いてね。だから、ぜひ話してみたいと紹介をお願いしたんだ。ちょうど、神子殿も文鬼殿と会いたがっていたしね」

「それでお店を訪ねたんですけれど、少し前からお留守だって聞いて、皆で探していたんです」


ゆきちゃんの言葉に、ああ、そうだったとはっとする。
私の隠れ家は一カ所ではない。諸国にいくつか、同じような店や隠れ家を持っている。そして少し前から、確かに京の家を空けていたのだった。


「でも、間に立ってくれる予定の彼女よりも先に、私自身が君を見つけたから声を掛けたんだよ」

「……はあ」


事情は解ったものの、納得はできない。それでは小松殿は、自力で「文鬼」の正体に行き着いた訳ではなさそうである。ならば、私が彼の頼みを聞いてやる必要はないのではないかと。でも、彼が八葉であるというのなら話は別になってくる。彼の頼みは、龍神の神子に関わることだろうか。

――どうにも小松殿に対して好意的になれないのは、出会い頭に投げかけられた、あの戯れ言のせいである。

そんな私の心境には思い至らないのだろう。ゆきちゃんは澄んだ瞳で私をじっと見つめた。


「小松さん、カオルさんの力が必要なんだそうです。私からも、お願いできませんか?」

「………。ええ、そうね…構わないわ」


たとえ薩摩の御家老がいけ好かない男だとしても、白龍の神子たるゆきちゃんにそう頼まれてしまえば、私に断ることはできない。
きっとこの男はそれを想定済みなのだろうと半ば確信的に悟った私は、舌打ちする代わりに件の男をにらみつけるのだった。


160430



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