▽縁談話


「君、織部文鬼でしょう」


往来で唐突に、腕を捕まれる。
騒がしい一団がやってきていることには気づいていた。その男の周囲でわき上がる黄色い声は、自分や桜智に向けられるそれの比ではない。得体の知れない私たちと違い、その男は名実共に女を惹きつける力を持っている。
私は、その男の名前を知っていた。有名人である。私でなくとも、彼のことを知る人は多い。それほどの要人であるのだ。この時勢で藩をひとつ動かせる位置にいる人物はそう多くはない。

だからこそ、面倒なことになったと思った。普通に呼び止められたのなら兎も角、文鬼の名を出された以上、彼を簡単に袖にするわけにはいかない。


「京で有名な現の文鬼、その正体を突き止めた者には協力を惜しまないと聞いたけど。本当なの?」

「…小松帯刀御家老に私ができることなど、とても少ないと思いますけれども」


耳元で囁かれた言葉に、素っ気なく返す。
間近で見上げた男の顔は整っている。なかなかの美丈夫だ。この若さでかの薩摩藩の家老であり、羽振りも良く、女性の扱いを心得ている。まさに持たぬ物はないといった様子の彼が、騒がれぬはずがないのである。

(そして――できるわ)

流石と言うべきか。この男は名ばかり容姿ばかりではないらしい。こうして私の正体を突き止めたこともそうだが、この態度。取引に長けている。
どんな突拍子もない話を振られるのかと、神経が張りつめる。しがない随筆家でしかない織部文鬼をおもしろ半分で探し出す程、薩摩藩家老は
暇ではないはずだ、こうして本人自らわざわざ接触するのだ。きっと何か理由があるのだろう。


「ふぅん。話に聞いたとおりだね。――気に入った」


警戒心を露わにした私の態度に、小松の方は満足したように笑った。押し上げた眼鏡の奥の鋭い双眸が、この状況を楽しむような色を放つ。

しかし――口を開いた男の言葉は、とんでもないもので。


「ねえ君、私に嫁ぐ気はない?」


瞬時に平手打ちしなかった私を、ほめてもらいたい。


150823



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