▽過去帖


長崎は、猥雑とした空気を纏う街だった。
古くからの港町であるから、この日ノ本のだけではない、他国の文化や風習が入り乱れて色んなものを見えにくくした。そのような不透明さの方が生きやすい類の人間もまた、少なくはない。

カオルは、そんな港町の空気が嫌いではないし、彼女もまた日陰に生きる部類に属していたから、性に合ってもいた。だが、たまには静かな空間を欲することもある。そして彼女がそう思ってここへ来ると、決まって彼もここへ隠れていた。


「桜智、やっぱりここに居た。貴方、怪我したらすぐに言いなさいと言ったでしょう」

「カオル…」


濡れた瞳を揺らし、情けなく涙声で私の名前を呼ぶのは幼馴染みの少年。私は、膝を抱えて座り込む彼の手を引く。


織部カオルと福地桜智。
共に十歳を迎える頃の話である。





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