弁慶さんは私を小突き、挨拶を促す。それで漸くヒノエくんに向き直った。


「菅原あかりです。弁慶さんの・・・雑用をさせてもらってます」


正式名称は軍師補佐、なのだが仕事内容的には間違ったことは言っていない。他に何を言ったらいいのか迷い弁慶さんを見上げると、彼は見下したような視線を向けて鼻で笑う。
相変わらず、嫌な人だ。


「彼女とはお付き合いしていますが、同行しているのは僕の部下だからです。見ての通り繊細な子なので、虐めないであげてください」

「あんたにしては、なかなかいい趣味してるね。――やだな、睨むなよ。とらないから」

「いえ、ヒノエがあかりを気に入ったのは予想外でしたが、僕には君が彼女を口説くのを止める権限はありませんから。どうぞご自由に」

「彼氏だって権限があるだろ」

「彼氏・・・ああ、そうですね」


あからさまに言葉を濁す。ヒノエくんや周囲の皆は微妙な言い回しにきょとんとしたが、私にはなんとなく彼の言いたいことがわかった。

この関係は、歪だ。本当の恋なのかもわからないまま、執着で名乗っている恋仲。形式上のものに近い関係で、どこまで恋人面が許されるのかと。
少なくとも彼は、私のことなど構わないのだろう。手に入れてみろ、と挑発されたのは私の方だ。私が他の人に心を移したりしたら、このゲームはすぐ終わる。
・・・依然として、弁慶さんを嫌えないのが現状なのだけれど。


「オレには横恋慕の趣味なんてないよ。どんなに可憐な姫君でも、他人のものはいらない。俺があかりちゃんに興味を持ったのは、聡明ないい女だと思ったからさ」


ヒノエくんの意味ありげな視線に、顔がひきつる。やっぱり聞かれていた。そしてこれは、気づいてはいけない類のものだったのだ。


「あんたの補佐なんて、並みの能力じゃ勤まらない。こんな若い女の子に任せるんだ、余程切れるんだろうね」


今更言うまでもないが、私はただ自分の世界の歴史に詳しいだけで、異世界でその知識を行使するのは反則技に近いものがある。だから決して、賢いわけではない。

(それを、若いのに凄いだなんて、本当に凄い人に言われたらたまらないよ)

――彼はきっと、熊野別当その人なのだから。


「あかりちゃん、君の直感は鋭い。でも駆け引きをするなら、多少嘘も覚えた方がいい」


ヒノエくんが顔を寄せ、私の耳元で囁く。突然詰められた距離に驚いたが、それよりもその内容に硬直した。彼からは、微かに海の匂いが漂う。


「熊野水軍への勧誘ですか。あかりも偉くなりましたね。職場をかえたいのなら、早めに申し出てくださいね」

「随分余裕な態度だけどな、言動と表情を一致させたほうがいいぜ」


すぐに身体を離したヒノエくんは、私の背後に立つ弁慶さんに向かって顔をしかめる。
なんとなく振り返ると、ヒノエくんを見つめる弁慶さんが、なんだか奇妙な表情で口を閉ざしていた。


120718



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