籠もよみ籠持ち
ふくしもよみぶくし持ちこの岡に
菜摘ます子家聞かな名告らさね
そらみつ大和の国はおしなべて
我こそ居れしきなべて
我こそいませ
我こそば告らめ家をも名をも



…意訳。

良い籠や道具を持って、この岡で菜を採る娘さん。貴女のお家はどこですか、名前を教えなさい。私は大和の国の全てを従え、支配して治めているのです。私こそは教えましょう家も名も。



ヒノエくんの言ったとおり、古代において女性の名や家を聞くのは求婚に値する行為だった。そして答えることは、それを承諾するということ。
これは、万葉集の巻頭を飾る雄略天皇の詩だ。統治者としての自信が満ち溢れ、堂々とした詩。


私は、彼がその詩をわざわざ引用して使ったということに、引っかかりを感じた。
なるほど、訳から見れば女の子をナンパするにはぴったりに思える。しかし、この詩のポイントは歌い手の雄略天皇が権利者であると知らしめることにあるのではなかっただろうか。ちなみに新春の詩、季節もちぐはぐだ。

(いくら女の子を口説くためとはいえ、ただの水兵が統治者などと豪語するかな)

よく、男性は見栄を張りたがると聞くがさすがに統治者はやりすぎだと思う。水軍といってもこの時代、それは海賊と同意義語だ。海の荒くれ者集団。彼が熊野水軍の一員である限り、彼もその中での厳しい上下関係の中に身を置いている筈。その彼が、軽々しく統治者を語るだなんて、おかしいと感じてしまう。
もしかしたら、詩の意味もよく知らないで使っているかもしれない。でも、私はすぐにその考えを打ち消した。

(多分彼、相当頭が良い)

この数ヶ月でわかったこと。それは、この世界の個々人の教養には、大きな差があることだ。私が居た世界のように、皆が教育を受けられるような制度はない。庶民は学が無くてあたりまえ、読み書きができる者も珍しい。
一方貴族の社会では、知識の豊かさがものをいう。様々な儀礼の事細かな決まりは暗記していて当然であり、女を口説くにも詩で、という世界だ。

このように貴族と庶民に格差がある中、多分武士は微妙な立場である。代々武士の家系の者以外に、下級武士には農民あがりの者もいる。戦闘要員だ、知識は必要ないと言う武士も少なくはないだろう。しかし、棟梁レベルになれば話は別。貴族階級に食い込むことになるのだ、生半可な教養ではいられない。

ヒノエくんはまだ若い。
その彼がそれなりの知識や教養を身に付けているのは、彼がそれなりの家系に生まれたということ。または、熊野において高い地位を有している。どちらかか、あるいはどちらも。

…考えられるのは、詩のまんま彼がこの地の統治者である、つまりヒノエくんが熊野頭領だという可能性なのだ。


「あれ、そこにも一人、可憐な乙女が隠れて居るようだね。そんな男物の服を着ても、俺の目はごまかせないよ」


そんな、鋭そうな彼が私の呟きを聞き逃すわけなく、すぐに声を掛けてきた。
私は神子でも八葉でもない。極力目立たないように一番後ろに居たのが水の泡。ヒノエくんがこちらにやってくるのが何だか怖くて、思わず弁慶さんの外套を掴む。
弁慶さんが薄く笑ったのが見えた。


「ヒノエ。女の子を見つけるたび、後先考えず口説きだすのはやめたらどうですか」


そこで初めて、彼は弁慶さんに気づいた。そして、盛大に顔をしかめたのである。


「げ、あんたも居たのかよ」



111107



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