「あなたの戦いに、私も加えてもらえないだろうか」


公家の青年がそう告げた瞬間、確かにひとつ世界が変わった。青年はその後、平敦盛と名乗った―――。





「弁慶さんは知っていたんでしょう、敦盛さんの正体」


私たちが堀川邸へ帰ってきたのは、もう明け方近くのことだった。
梶原邸に戻る望美ちゃんたちと別れた後、自室に戻る前にと弁慶さんにこっそり尋ねる。今日は特別に疲れただろうし、スルーされるかと思ったが、以外にも弁慶さんは含み笑いで切り返してきた。


「それは僕の科白です。あかりも気付いていたでしょう」


こちらから彼の隠し事を指摘したのに、逆に見透かされたような展開。やはり弁慶さんは手強いと、私は苦笑する。


「戦場にまで笛を持ってくる公家の青年は、珍しいでしょ?まあ、確信はなかったんですけれど」


まだ出会ったばかりの、青年。私は彼と直接言葉は交わしていない。彼が意識を失っている時に、手当を手伝っただけだ。けれども望美ちゃんを見つめるその眼差しはとても優しく、力強かった。良い人なのだろうなと感じた。
だから彼の手前、私たちの世界の「平敦盛」を語ることが憚られた。平敦盛は、有名だ。とりわけ平家物語では教科書に取り上げられるくらいに。私も何度も「敦盛」の場面を読み返したものだ。…「平敦盛の最期」のシーンを。


「君の世界との相違は気になりますが、それに振り回されないようにしなくてはなりません。あくまで、異なる世界なのですから」

「…はい」


まったく、弁慶さんのいうとおりだ。いくらよく似ていると言っても、異なる点も少なくない。でも逆に言うと、全く同じ戦いがこれまでに幾度もおきていることも確かなのである。

(私たちの世界で平敦盛が命を落とすのは、一の谷の戦い。まだ、時間はある)

気にしすぎなのかもしれないが、私たちは、私の知る史実に沿って進んでいる気がした。私は元々歴史好きだが、特別平安末期が得意なわけではなかった。だから、知識も普通の女子高生よりはある程度。ささやかな予兆には気付けない。だからこそ、幽かな不安を感じるのだ。私たちの、望美ちゃんや九郎さんの、行く末に。


「それにしても、今回はよく働きましたね。ここまでは正直、期待していませんでした」


彼が手放しに褒めてくれることは、珍しい。いつもは辛辣な弁慶さんにたまには褒めてほしい、なんて思ってるのに、いざ言われるとなんだか照れくさくなってごまかしてしまう。


「…ご褒美でもくれるんですか?」

「そうですね。いいでしょう、言ってごらんなさい」


てっきり小馬鹿にされて終わりだと思っていたので、あっさりそれを肯定した弁慶さんに驚いた。それから、少しの焦りが湧き上がる。折角弁慶さんが乗り気なのだ。いつもはできないような、頼みごとをするチャンスである。

(…あ、)

その時私は、ふとある思いつきをした。宇治川で出会ってから、心のどこかで気になっていたこと。


「お願いがあるんです」


神妙に切り出した私の言葉を、弁慶さんは無言で促す。


「私に、軍記を書かせてください」


軍記とはその名のとおり、戦の話を記した書物のことだ。文学の世界になると軍記物と呼ばれ、例の平家物語はこれにあたる。つまり、私が言いたいのは「戦の記録」のことだ。


「何処かに発表するつもりも、何かに使うつもりもないんです。でも、残しておきたい。そう思うんです」


私が残したいのは、源氏軍の記録ではない。神子一行の軍記。九郎さんは大将名代として兵を率いているけれど、神子の八葉としての行動とは異なる。きっと源氏軍の記録は後の世にしっかり残されることになるだろう。でも、神子や八葉のことはきっと、伝説としてのまま語られるのみ。だったら私が。彼らに近くて、でも八葉でも神子でもない私が記録をつけたいと思ったのだ。


「あかりには、色気も何もあったもんじゃないですね」

「なっ…」

「ご褒美だなんていうから、接吻でも要求されるのかと思いました。期待して損した」

「き、期待って…」

「軍記、僕はいいと思います。面白い。君の目線で僕たちの行動がどう綴られるのか、興味がありますから」


けれども、と弁慶さんは少しだけ真剣な顔で続ける。


「ただし、非公式です。誰にも悟られないようにおやりなさい。全ての戦いが終わるまで、ただ静かに物事を客観的に見つめなさい。いいですね。それを守るというのであれば、僕は君に協力しましょう」


簡単に許可を出され、私は若干面食らってしまった。


「…迷惑じゃ、ありませんか?」

「何をいまさら。君のお守は最初から、僕の義務ですから」


ため息交じりにそういうと、弁慶さんは遠ざかっていく。一瞬唖然とした私は、その背中を慌てて追う。


「弁慶さん、ありがとうございますっ」


小走りになりながら言うが、彼は振り返らない。それでも、私は満足だった。私にとって今回のお願いは、切実なものだった。
こんなことを言い出したのは、記録をつけてみたいという好奇心からだけではないのだ。私が、私だけの仕事を仰せつかったという事実。それが欲しかった。今まで、神子でも八葉でも源氏の兵でもない私はいつも中途半端な立ち位置だった。仕事も雑用ばかり。けれども、この仕事だけは私だけのもの。そういえるものが一つでも、欲しかった。私の存在理由が、必要だったのだ。

(どんなことも、私が必ず後の世に伝えてみせる)

意気込んで、そして嬉しくなった。私はようやく、自分の居場所を得ることができたように感じたのである。


110831




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