陣の内を右に左に、駆け回る。襲撃そのものは終わったとはいえ、怨霊はまだ出る上に、これだけの人数を動かすだけでも大事なのだ。特に今回は怪我人も多く出てしまったため、それこそ雑用の手はいくらあっても足りないくらいであった。

(全く…弁慶さん、変な言い方するから…)

私は一息ついて、手に握る紙切れを眺める。そこには綺麗な字でびっしりと、私がこなさなければならない雑用の数々が記されている。弁慶さんからの"お仕置き"だ。あんな思わせぶりな言い方をするから何をされるのかと思えば、笑顔で「今夜中に」とこれを渡されてしまった。
お仕置きという言葉に、妙な想像をしてしまった自分がとても恥ずかしい。

けれども、九郎さんの的確な指示とすぐにそれに従った兵たちの働きの甲斐あって、次第に事態は収まりつつある。

私も日付が変わる頃には、大方の雑用を片づけることができた。とりあえず、もう一度弁慶さんに指示を仰ごう。思って救看護のための幕を通りかかった時である。ぼんやりと空を見上げる影。月光に照らされた美しい横顔が見知ったものだと気付き、思わず声を掛けた。


「望美ちゃん」


私の声に、望美ちゃんは空から視線を外した。彼女は、先程保護した青年を看病している筈だ。血に濡れた装束の青年を思い浮かべる。


「具合、どう?さっきの…」

「弁慶さんのくれた薬のお陰で、なんとか。さっき一回目が覚めたから、心配ないと思うよ」


病状は予想以上に安定しているようだ。彼女は、少し手の空いた隙に息抜きをしていたのだという。望美ちゃんの表情はいつものように慈愛に満ちている。けれど、どこか元気が無いように見えた。けれど、それは仕方のない話かもしれない。望美ちゃんには今日が初陣だった。夜の山道を掛け、ひたすら前線で闘っていたのだ。本来なら少し、休んだ方がいいくらい。


「あかりは、仕事中?」

「う、うん…でも少し落ち着いたところ。九郎さんが撤退の準備、迅速に進めてくれてるからだね」


若いのに、凄いよね。働き者で、気が利いて。今話題が切れるとなんだか気まずくなりそうで、私は必死に言葉を繋いだ。すると九郎さんの名前に、望美ちゃんは少しだけ顔をほころばせる。


「九郎さんね、私が彼を助けたことに反対してたんだ。それ聞いた時に九郎さんはなんてひどい人なんだろうって思ったの」

「……うん」

「でもね、ちゃんと話を聞いたら違った。立場上そうするしかないんだって、本当はそんなことしたくないし、人質の辛さもよくわかるから嫌なんだって言ってた。ちゃんと話、聞いてよかった。九郎さんも辛いのに、私、誤解したままだったかもしれない」

「…そっか」

「うん。ほっとしたんだ」


望美ちゃんは、九郎さんに惹かれている。それは周知の事実だ。九郎さんの事を話す彼女は、とても魅力的だ。きらきらしている。私は、彼女のその表情が好きだ。
でも、望美ちゃんはそれだけの人じゃない。今回あの青年を助けることで意見が食い違った時、恋心とは別に彼女は自分の意見を貫いた。そして理解しようとしたのだ。青年の事も、九郎さんのことも。彼女は強い。その強さは美しい。そして、それが羨ましい。

けれども不意に、彼女の表情は曇る。まるで何かを思い出したかのように、彼女は俯いた。


「望美ちゃん…?」

「あかり。私、弁慶さんが分からない」


唐突に出た弁慶さんの名前に、どきりとした。けれどもぼんやりと月を眺める望美ちゃんは、それは気付かない。


「あの山火事の時、弁慶さんの仕打ちが信じられなかった。弁慶さんにそういう一面があることには、気づいてたんだけど…でも、私の認識は甘かったのかもって思わされた」


それから、彼女はちらりと後方の幕を気にするように見た。


「彼のことも八葉だからとかではなく、利用価値があるから助けた風なんだもの。そりゃあ、弁慶さんの言うことが正しいっていうのはわかるよ。でも――弁慶さんは、怖い人だと思うの」


そこまで言って、はっと彼女は我に返ったように顔を上げた。


「ご、ごめん。こんなこと貴女に言うべきじゃないよね。あかりは弁慶さんと一緒に仕事してるし…それに…」


途中で濁すように望美は口を噤む。しかし彼女が何を言いかけたのかは、考えるまでもなくわかる。つまり、私の弁慶さんの恋人だということ。望美ちゃんが、弁慶さんに苦手意識を持ってしまったことを、私が気にするのではないかと勘ぐっているのだろう。


「ねえ…私と弁慶さんの間には、望美ちゃんが想像しているようなことは何もないよ。恋人、だっていうのは役割にすぎないの」


私は、ゆっくりと言葉を選ぶ。自分で言っていて、おかしな話だと思った。案の定、望美ちゃんは妙な顔をした。


「私もわからない、弁慶さんのことはなんにも。それに、いつも感じてる。彼が怖い人だってこと」


でもそれは、私の本心だ。わからないのだ、何一つ。彼にとって何が真実なのか、彼が何を求めているのか。今の恋人という地位だってそう、どうして私に与えらえたのか、私は何をすればいいのか。

――なにひとつだって、わからない。


「…だから望美ちゃんは、思うまま進めばいいと思う。私にも……弁慶さんにも気を使う必要なんてないよ」


ぎこちないながらも、私は話し終えると彼女に笑いかける。望美ちゃんには、頑張ってほしいと心から思う。神子のことも、九郎さんの事も。
望美ちゃんはありがとうと、私に丁寧に頭を下げる。でも、彼女の表情は晴れていなかった。そして、一言、私に鋭利な科白を投げかけたのだった。



「あかりは、それでいいの?」



110829



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