三草山は福原と京とを結ぶ位置にある。福原へと落ちた平家一門は今もなお、再びの上京を諦めてはいない。どころか、隙あらば攻め入ろうとしているという。
宇治川の戦いを制した私たち――九郎さん率いる源氏軍は、しばらく京へ滞在していた。けれども先日、平家が三草山に陣を張っていると報告を受けて夜陰の戦場へ赴いたのである。

辛うじて、私たちは平家軍を阻むことに成功したけれど、被害は少なくない。その帰り道での事だった。件の青年を神子が拾ってきたのは。


「先程望美ちゃんを手伝って、彼の服を寛げたんです。…その時、彼が笛を所持しているのを見つけて」


彼は、綺麗な身なりといい、煌びやかな服装といい、下級武士とは思えない出で立ちだった。見覚えの無いことから平家方の武将だろうとは容易に推測がつく。

それにしても、笛を戦場に持ってきているとは、なんて雅な思考だろう。しばらく、足繁く朝廷へ出入りしていた平家には、音楽や文学の嗜みをもつ者は少なくないという。よく手入れされた縦笛からは、青年が大切に扱っていた形跡がよく見てとれた。

やはり彼は平家で、本来は鎌倉へ送らなければならない存在なのだろう。いくら九郎さんといえども、頼朝殿に逆らうような真似は、慎むべきだと思う。一方、神子が救った命、ただならぬ縁があるのではとも思う。

けれども今、私はそのことを言いたいのではない。覚えがあったのだ。笛を所持したまま若くして命を落とす、ひとりの青年に。


「…あかりは、彼の正体に心あたりがあるのですね」

「自信は無いんです。だって私たちの世界では――」

「あかり。少しそれは、言わないでいてくれませんか」


私の言葉を遮った弁慶さんは、少しだけ目を細めて言葉を選ぶように続けた。


「僕は、鎌倉には引き渡すべきでないと思う。その意味、わかります?」

「…はい」


いつになく慎重そうな声色に、目を見張りながらも私は頷く。弁慶さんは安堵したように微笑んだ。

(弁慶さんは彼と、面識がある…?)

言外に弁慶さんの表情は、告げていた。無理に助けたいとは言わないが、あの青年には留めておくだけの価値があると。
弁慶さんが平家に繋がりを持っているだなんて、有り得ない話ではないが意外だった。しっかりと利用価値も見定めているらしい。どれだけ親しいのかはわからないが、知人にでさえ容赦ない彼は軍師の鏡である。…それは、言葉を換えれば非情、とも言えるけれど。


「それにしても、あかり」


ふと弁慶さんは、私の頬を撫でた。なまめかしいその手つきに、ぞくりと肌が粟立つ。それでも気丈に彼を見上げると、弁慶さんは甘く、私に囁く。


「恋人の僕を差し置いて、見ず知らずの男の世話など…良い御身分ですね」


笑う彼の瞳には、硬直した私が映っている。その口元の笑みが虚飾であることは、今更、述べるまでもない。私が彼から、逃れられるわけがない。観念して仕置きを受けるしか、ないようだった。

110625



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