2 九郎が厄介ごとを拾ってくることは多いが、戦場から女人を拾ってくることは初めてだった。当たり前だ。そんなこと、頻繁にあったら困る。 (最も、九郎は厄介事を引き付ける天才のような男。仕方ない、ですかね) 弁慶は心の中でそう結論付けると、目の前の"自分に任された仕事"へ向き直った。 (…命に関わる怪我は、なさそうだ) ちょっとした擦り傷や打ち身こそあるが、横たわるその女の身体は綺麗すぎる程傷が無い。否、女と呼ぶにはまだ幼い顔立ちだ。十代後半だろうか。 その日九郎を中心とした源氏軍が戦っていたのは、敵軍というよりも、正しくは怨霊の群れだった。正式な合戦ではなく、移動中に遭遇して戦う羽目になったというのが事実である。生身の人間相手と違って、怨霊相手の戦闘は面倒だ。それは、怨霊には「死ぬ」という概念が無いからである。彼らは死なない。ただ、無差別に生者を襲う。源氏軍はこの怨霊たちに閉口していた。平家の放つ怨霊に立ち向かうすべが今のところ、源氏軍にはない。しかも今回は元々平家との戦ではないのだ。逆賊とされた義仲を打つべく宇治川まできたのだが、途中で平家が怨霊を放ち、邪魔をしていきたのだった。 それは兎も角。 今取り上げるべき問題が起きたのは、その合戦中である。 (九郎が戦闘中に、女性を拾ってくるとはね) 何でも、戦乱のど真ん中にいたらしい。否、現れたという。そして怨霊に襲われていたところを九郎が助け、連れてきた。 話を聞いた当初、弁慶はもしや彼女は怨霊なのではと危ぶんだが、どうやらそれは無さそうだ。少なくとも弁慶が検診した限りでは、彼女は生者と何もかわらなかった。 (ぼんやりと…戦場に現れた女。状況が分かっていないかのような…) 弁慶は、口元に手を当てて考える。 あらゆる仮説を立てたが、どう考えても奇妙さがぬぐいきれない。弁慶は自分が他の誰よりも、このような事態に場慣れしていると自負していた。軍師として源氏についてからだけでない。昔から、あらゆる物事を整理、分析し、綱渡りのように様様なことを天秤にかけて、今こうしてここにいる。そう――応龍が消滅した時も、ある程度の予測は立っていたのだ。 それなのに、一人の少女の存在ひとつに今、まるで歯が立たない。そのことに弁慶は、酷く興味をそそられていた。 (…もしかして) と思い当たることが、実を言うとひとつだけあった。それは古い事例を元にした話。あまりにも古く現実味を帯びない話なため、伝説と言われている筋のものだ。だが、それを元に仮説を立てれば全てがすっきりと落ち着く。事実は彼女が目覚めてからでないとわからない。けれど確立は、高いと思う。それは先程"綺麗すぎる"と言ったこととも関連していた。 (ここらの村娘では、ないでしょうね) そして恐らく、町娘でもない。弁慶が注目していたのは、手、だった。 横たわる彼女の手には、あかぎれどころか豆ひとつない。普通、庶民の娘は日常から親の家事手伝いや田畑の仕事を手伝わされる。そのような痕跡が一切無いとなると、余程いい所の娘か。しかし、それなりの家柄の娘がひとり戦場に来るわけがない。それに、彼女の服装は"良いところのお姫さま"からはかけ離れていた。 彼女は、濃い色の上着に袴姿という、なんとも質素な格好だった。胸の辺りまで垂れた髪は、耳の横で二つに結われている。顔立ち、体つきはどう見ても女なのに、女っ気の無いその服装が奇妙さをかもし出している。 (あの九郎が、よく一目で女性と気づいたものだ) 背も高くない彼女は、そっと立っていたら少年に間違えられてしまうだろう。 (村娘でもない、名家の娘でもない) 龍について調べるうちに出てきた伝説。それは京の町を守ったある少女、そして――異世界から来たという、人々の記録であった。 その時、彼女の瞼が震えた。 |