怪盗





暗闇は、街を変える。
見知った筈の帰路は、暗闇に包まれて私の知らない雰囲気を醸し出していた。月明かりにぼんやりと照らされた道を、ひたすらに急ぐ。音の消えた夜の街では、自分の足音でさえ気味悪く感じた。一刻も早く帰らなくては。それだけを考える。

(――今日、満月だ)

ふと空を見上げると、大きな月がぽっかりと浮かんでいた。漸く梅雨が開けた時期で、こうして雲一つない夜空を見上げるのは、久々だったかもしれない。そっと息をついて見とれていたものだから、突如背後から聞こえた物音に、私は瞬時に反応出来なかった。


*


「ちょっとした、ヘマしちまっただけでィ。放っておいてくれ」
不服そうなその男に、私は思いっきり顔をしかめてやる。男、というよりも青年だ。まだ年若く、未成年じゃないかという気さえする。それは、きっと可愛い作りの顔のせいもあるだろうけれど。


「ちょっとしたヘマで血だらけになってたまりますか。そんな人を放って帰るだなんて、できません」

「だからって、助ける義理もねェですぜ?しかも、どこの誰だかわからない男を」

「助けない義理もありません。」


きっぱりと言い切った私を、彼は妙なものを見るかのような目で眺める。私はというと、自分のハンカチを裂いて彼の腕に巻きつける作業に躍起になっていた。
夜道、闇に包まれた帰り道。突如背後から聞こえた物音に振り返ると、腕を血だらけにした青年が倒れていた。信じられないことに、彼は落ちてきた、らしい。


「こんなに怪しい男、普通放っておきやすぜ」


呆れたその口調に、自分も同意したいくらいだ。明らかに危ない雰囲気を纏った彼は、どこからどうみても裏社会かなんかの人間で。そもそも、深夜に血だらけの腕を抱えて屋根から落ちてきたりはしない。
――見た瞬間に逃げれば良かったのだ。けれど、私は考えるより先に、声を掛けていた。


「とんだお人好しでさァ」


初めは警戒していた彼も、丸腰で慣れない止血にてこずる私を、敵ではないと判断したようだ。大人しく手当てされながら、ぶつぶつと文句をいう。


「お人好しで結構です!大体助けてもらっておいてその態度、」

「助けてもらったから、なんでさァ」


突然、頭を掴まれて上を向かされた。目の前に青年の顔。ギラギラと怪しく光る瞳は、獲物を品定めするような獣のよう。わざとらしく口元だけ歪めた笑みに、背筋がひやりとした。


「あんた、無防備すぎでさァ。俺が恩人に感謝する男がどうかも、わからない癖に。利用されて、あとは殺されるだけかもしれないじゃないですかィ」


噛みつくような物言いに、無意識に腰が引けてしまう。そんな私の姿に、青年は馬鹿にしたように鼻で笑った。掴まれていた頭を離され、私は軽く尻餅をつく。


「やっと気づいたところで、もう遅いでさァ。俺にも俺の事情があるからねェ…不味い所を見られたあんたは殺」

「殺しません!」


青年の声を遮った私。青年は、顔をしかめた。


「あなたは私を殺しません。そう思ったから助けたんです。じゃなかったら、助けてないです」

「そんな…根拠もない。そんな勘宛てにしてると早死にしやすぜ」

「大丈夫ですよ。私、お人好しじゃないですし」


青年は、小さく溜め息を吐いた。


*


結局そんなことがあって、早三日。止血が終わると青年は闇へと消えていた。闇夜に潜む青年、怪我をして屋根から落ちて、それを助けた。どこぞのハリウッド映画ばりの有り得なさに、それが現実だったのか疑いすらした。


「名前ちゃん、最近元気ないわね。何か悩み事?」

「お妙ちゃん…」

「あらあら酷い顔」


短い時間だったけれど、あの青年は確実に私に影響を及ぼしていた。あれから、気づくと彼のことを考えてしまう。お妙ちゃんはそんな私に、困ったように笑う。


「何を悩んでいるのか知らないけれど、無理をしない方がいいわ。そんな注意力散漫な状態で、ひとりで帰すのが不安になるじゃない」

「…?」

「あなた、見てないの?近頃は物騒よ。この間も怪盗だとか名乗った青年が、美術館に忍び行ったらしいじゃない」

「怪盗なんているの?」

「所詮、ルパンを見過ぎの中二病でしょうけど。でも、セキュリティーを抜けて逃げ延びたらしいわ。怪我を負っただなんて噂も聞くけれど」


怪盗、セキュリティーを抜けて、怪我を負った青年。ぼんやりと聞いていた私は、突然我に返った。血まみれの腕、闇夜の青年。思い浮かぶのは、ひとりだけだった。


「姉上ー!今戻りましたー」


玄関が騒がしくなったと思ったら、新八くんが帰ってきたらしい。お妙ちゃんがにこやかに迎え入れる。私もさり気なく玄関に目を向けた。
見慣れた新八くんの姿の向こうに、少し明るい色の髪が見えた。お客さんだろうか。三人が親しげに言葉を交わし、家へ上がるのを見ていた私は、突然声を上げた。


「あ、あなた…!」


指を指した先は、新八くんの友達だ。新八くんとお妙ちゃんは、そんな私を不思議そうに見た。そりゃあ、そうだ。私は初対面の人をいきなり指差す、なんてことはしない。
初対面ではなかった。着ている服も違うし、腕に包帯もなかったけれど。それでも、間違いなく彼は――あの日に出会った怪盗だったから。


「あんた…」


青年の方も気づいたのか、僅かに顔をしかめる。だがそれに志村兄弟は気づかない。私だけは、驚きに目を見開いて彼を見つめていた。


「…あれ、あんたどこかで会いやしたかい?覚えてないでさァ」


しばしの間の後。青年はごく自然に切り返す。あの時のことを知られたら、都合が悪いのだろう。


「名前ちゃん、沖田さんと知り合い?」

「え、あ…人違いかも」


新八くんの問いに、とっさにごまかした。その行動が意外だったのか、青年は二、三回まばたきをした。


「志村姉の友達ですかィ」

「ええ。苗字名前ちゃんよ」

「へぇ」


聞いたくせに彼は興味が無さそうだ。沖田さん…といったか。彼は平然を装っていたが、間違いなくあの青年。


「沖田さんは最近転校してきた、新ちゃんのクラスメートなのよ」


私が彼から目を離せないのを見て、お妙ちゃんは意味ありげに笑った。
沖田さんが新八くんの部屋へと姿を消すその瞬間、沖田さんはこちらを振り返る。


(また、会いやしたねェ)


目を細められ、唇だけで告げられた言葉。頬が熱くなったのを自覚した私から視線を外し、沖田さんは引き戸を閉めた。
私は、彼の怪盗に大切なものを盗まれていた。




怪盗




(それは、恋心という)

090721



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