雨傘


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窓を開けた途端、雨の匂いがした。

空を見上げると薄く雲が一面に掛かっているのが見える。天気予報では晴れると言っていたのに、嘘つき。
それでも当初の予定を変えるつもりも無く、私は溜め息をひとつ吐いて、玄関を飛び出した。




雨は、嫌いではないが好きでもない。晴れていた方が気分はいい。


「だからそんなに膨れているのですか」


私の向かいに腰を下ろした骸は、小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「膨れてなんかいないわ。子供じゃないもの」

「クフフ、相変わらず頑固な人ですねぇ。最も、そんなところが可愛いですけれど」


相変わらず私を子供扱いする骸を睨みつけて、温かな湯気を昇らせる紅茶に口をつける。すらりとした脚を少し気怠げに組む彼は、とても様になっていて道行く女性の目を引く。それがまた癪で、久々に会ったというのに私はまた憎まれ口を叩いてしまうのだ。


「今日は水族館に行こうっていってたけれど、こんな天気じゃ興ざめ」

「そうですか?屋内だから雨は関係ないでしょう」

「寒いし、ショーも中止じゃない」


待ち合わせた喫茶店は、初めて入った所だったけれどとても雰囲気が良かった。これから行く予定だった水族館、予想していなかった天候に、どうしようかと話し合っていたところである。


「まだ降ってないですし、行ってみたら案外大丈夫かもしれないですよ」


膨れる(さっきは否定したが、今は明らかにそうだろう)私に、骸は余裕の顔。同い年とは思えない大人っぽさに、対して魅力もない自分が嫌になった。
卑屈になるのは雨のせいだ。


「僕は嫌いじゃないですけど、雨」


何気なく骸が呟いた言葉に、私は顔を上げた。余程聞きたそうな顔をしていたのだろうか。骸は柔らかく微笑んで、続ける。


「ほら、僕らが出会ったのは雨の日でしょう」






予報が外れて、雨が降った。
今日は確実に晴れだっていっていたから傘なんて持って来ていない。こんなことなら、置き傘をしておくんだった。私は途方に暮れて、立ち尽くす。バス停まで走れれば、なんとかなるかもしれない。ちょっと距離はあるが、ずっとここに居るわけにもいかないので。

靴を履き替え、鞄を抱え込み、私は降りしきる雨を見据えて覚悟を決めた。深呼吸をひとつ。そして走り出そうとした刹那、誰かが私の腕を掴んだ。


「ちょっと待って下さい」


いきなりの事にびっくりして振り返ると、そこにいたのは綺麗な顔の少年だった。


「苗字さん、ですよね」

「…そっちこそ、六道くん?」


転校生の六道くんのことは、かなり噂になっていたので遠目から見たことがあった。しかしこうして言葉を交わすのは初めてで、見慣れないオッドアイの瞳をまじまじと見つめてしまう。


「苗字さん?」


六道くんの声に我に返る。見つめていたことに気づき、恥ずかしくなった。


「あの、私に何か?」

「いえ、大した事ではないのですが」


困ったように六道くんは微笑んで、気になったので、と続ける。


「もしかして傘が無いのでは?」

「あ…うん、忘れちゃって」

「しかも走って帰ろうとしてましたよね」

「…はい」


なんだか説教されてるみたいだ。
だからどうしたの、と首を傾げたら、六道くんは手に持った傘を少しだけ持ち上げた。


「良かったら入っていきませんか?僕も同じ方向ですし、女の子がずぶ濡れなのに平気で傘差すなんて度胸、無いんです」






小さく溜め息をついて、私はにこにこと笑う恋人に視線を移した。
膨れる彼女を前に、どうしてそんなに楽しそうなのか疑問だ。


「…あの時は阿呆なのかナルシストなのか、判断に困ったわ。結局、両方だったけれど」

「酷いですね。ドキドキしてた癖に」

「そ、そんなことない」

「良い思い出でしょう?」

「…まぁね」


あれがきっかけで親しくなれて、今では恋人なのだ。中身はともかく、こんな現実離れした素敵な男性と並ぶだなんて、骸を逃したら一生機会はないと思う。
そんなことを考えていたら恥ずかしくなって、照れ隠しに紅茶を口に含もうとした。


「あ…もうないや」


期待がはずれて口を尖らせたら、骸は突然伝票を持って席を立つ。

「さぁ行きますよ、水族館」

「え?だから雨だって」

「雨でも嵐でも行きます。僕がどれだけ今日を楽しみにしていたと思っているんですか」


私の手を引き、立ち上がらせるとそのまま手を繋いで歩き出した。
私だって、骸と会える今日を凄く楽しみにしていた。それは、天気が外れてがっかりするくらい。


「レッドテールキャットフィッシュが見たいんです」

「は?キャット?」

「あとは、ピラルクですね。あれは外せません」


嬉々として骸は言うが、その呪文のような名前の生き物は魚なのだろうか。首を傾げた私に、骸はクフフと笑う。


「名前、傘持っていますよね」


今更何を言うのだろう。私が頷くと、骸は悪戯っぽく言った。


「実は僕、傘忘れちゃったんです。入れて下さい」

「ば、馬鹿じゃないの」

「いいじゃないですか、たまには。相合い傘でデートだなんて」


確信犯だ。渋々肯定すると、手を繋いだまま骸は私に体を寄せて、傘を開いた。
本当に、あの時のように。

静かに降り始めた雨。しかし私にとって嫌なものではなくなっていた。




雨傘




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光也さんに捧げます。

090613



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