わたしはひどいとりあたまだった。ぽろぽろとよく記憶を落として生きていた。大切なことがなんなんとか、忘れてしまうくらい、物忘れが激しかった。人の顔なんてその最たるもので、よっぽど親しくならないかぎり名前など覚えられないし、さらにひどいことに、わたしは有名人の顔と名前すら一致しないのだった。友人達が楽しげに話している内容に、当然ながらわたしはついていけない。疎外感を感じるのは勿論だけれど、それよりもおそろしかったのは、何か、なくしてはいけない宝物を失ってしまっているような感覚だった。


「お客様、お客様」


 はっと目を覚ます。ここはどこだろう。わたしを起こしてくれたひとは、銀の髪に帽子にロングコートと、特徴的な格好をしたひとだった。


「もう本日のダイヤは終了となります、お降り下さいまし」
「あ、・・・すみません」


 ごしごしと目をこすって、うしろにもたれかかっていた上半身を起こした。そうだ、わたしは地下鉄に乗っていたのだ。


「ごめんなさい、ご迷惑をおかけしまして」


 寝起きのせいで、どこかぼけた子供っぽい発音になっているのが恥ずかしかったけど、不可抗力なのでどうしようもない。ぎゅっと強く目を閉じて、なんどもなんどもまばたきする。わたしを起こしてくれた彼は、そんなわたしを見てくすりと笑った。


「いえ、これもわたくしどもの仕事ですから」


 働く大人って感じがして、かっこいいな、と思った。ぺこり、会釈をして、ちびリュックを背負って車両から出ようとすると、呼び止められた。


「・・・なんでしょう」
「その、今はもう、夜も遅いので・・・わたくしの仕事ももう終わりなのです、あと数分待っていただければ、家まで遅らせてくださいまし」


 差し出された優しさを素直に受け取ることにした。しばらくホームで待っていると、ほんとうにすぐに彼は出てきた。「さあ、参りましょう」どこか堅苦しい感じがするけれど、決して嫌ではない。
 空を見上げると、星がまたたいていた。家に着かなければいいのに、なんて、馬鹿みたいなことを考える。このひととずっとおしゃべりしていたい。普段感じている、海にただようようなふわふわした不安からすくいあげられて、やっと地に足をつけられたような、母親にでも抱きしめられているような、不思議な安心感。彼がわたしの言葉にくすくす笑うたび、彼のことならいつまででも頭に焼き付けていられるような気がしたのだ。



title:衛星






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