端的に言ってしまえば、わたしは白澤様が苦手だった。あのくるくるとよく回る口は軽薄と言ってしまえばそれまでだがそれは賢いことの裏返しだ。尊敬は、している。けれどもけれども、女だったら誰でもいいのか。今度こそ見損なった、さっきまで「まあ多少女好きでも仕方あるまいそれ以上に頭がいいのだから見逃すべきじゃアなかろうか」だなんて考えていた甘ったれのわたしをぶち殺したい。目の前でにたにたと笑いながらわたしを口説かんとするこの男、下衆の極み、いくら尊い神獣様といえど許されないことがあると思い知ればいいのである。


「ねーえ、僕に乗り換える気はないの〜?」
「乗り換えるも何もわたしは元より独り身です!」
「それなら尚更。うるさい上司はほっといてサ、僕と楽しいコトしようよ」


 長身の男に迫られては、それでも獄卒かと鬼灯様に罵られてしまいそうだが、情けないことに全くもって歯が立たない。普段から拷問という肉体労働から逃げて雑務ばかりこなしていた罰が当たったのだ。鬼灯様が「その雑務すらろくに出来ない輩の多いこのご時世になまえさんのような存在は有難いものですよ」と褒めてくださったから調子に乗りすぎた。今日だってそもそも、ただ薬を受け取るだけのおつかいだったのに、こんなことになっている。やはり女も力があるに越したことはない。現にこうして、部屋に連れ込まれてしまっては、わたしに成す術など。
 後頭部に大きなてのひらの感触があった。鼻先の触れそうな距離に、ひ、と子供のような声が漏れた。かーわいい、という彼の言葉に、ぎゅうと目を閉じる。なんと恐ろしい。……そういえば彼ってこうして無理やりするのは「違う」と言っていなかっただろうか。そうならばもしかして、わたしのことを鬼灯様がお傍に置いていくださるから、ムカつくあいつの持ち物で遊んでやろう的な、そういう意図があるのだろうか。あれ、それってもしかしなくても鬼灯様と白澤様の不仲のせいでわたしったらこうして遊ばれているのだろうか、それってすごく理不尽、


「ぎゃあッ」


 白澤様の悲鳴の方が一寸だけ早かった。すぐ傍を何かが飛んでいき、その後で、轟音。白澤様の腕に抱かれてその「何か」から逃れ、壁に目を遣る。突き刺さっていたのは、我が上司のトレードマークである、金棒。


「この腐れ色魔、なまえさんを離しなさい」
「はっ、離す離さないの前になまえちゃんに刺さってたらどうするつもりだったんだよ!」
「私がそんなミスを仕出かすとでも?緻密なコントロールのもとに貴方だけに突き刺さるはずだったのにどうして避けたんですか」
「生き物としての生存本能を否定された!」


 ぎゃんぎゃん喚くふたりの間で、わたしはひとり、両腕を抱えて震えるのである。どうしてこんな、わたしはただ真面目に仕事をこなしていたいだけなのに。そもそもその事務処理能力を鬼灯様に買われてしまったのが運の尽きだったのだ。地獄のナンバーツーと吉兆の印である神獣の喧騒に巻き込まれるなんて、ただの獄卒であるわたしには荷が重過ぎる。異動願いを出そうかしら。真剣にそう考えてしまうほどには、この状況に精神を削られていた。


「私の可愛い部下に手を出さないでいただきたい」


 白澤様の腕の中から引っ張り出され、鬼灯様の背中の陰に隠れる格好になった。視界が黒の着物に阻まれる寸前、白澤様のいやあな笑顔がちらりと見えた。


「……へーえ、ふーうん、お前にもそんな感情があったのか」
「? どういう事です」
「いやあ、ただの朴念仁だと思ってたから。 なるほどそれじゃあ悪いことをしたね」
「何を勘違いしてるんですか。なまえさんほど優秀で誠実な方は居ません、私は貴方とは違います、何でもかんでもそうやってよこしまな考え方をして」


 だから酒に飲まれるんだ、とぼそりと呟かれた言葉を、彼は勿論聞き逃さなかった。再び白熱する言い争いに耳を傾けながら、鬼灯様のもとで働き続けようと思い直した。よくよく考えれば、桃源郷に近づかなければいいだけの話である。


title:東の僕とサーカス




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