「廉造ちゃん、今度の金曜あけといて」


 ほとんど衝動的にかけた電話でも、受け止めてくれる懐の深さだとか、急な約束を取り付けても、ふたつ返事で了承してくれるところだとか、わたしはずいぶんこのかわいい男の子に、惚れこんでいるのだなあと感じるのだけれども、一歩、踏み込む勇気が出ないのだ。握りしめたスマホの熱は、機械から放たれているものだけじゃないだろう。軽い調子で『ほんなら、俺は駅前あたりで待ってればええですか』と応える声に、唾をのみこんで、うん、と返す。

 ベッドにあおむけに倒れて、ふかいため息をついた。バカみたい、相手は十五の子供なのに、こんなに本気になっちゃって。首と脇と背中にじんわり、汗をかいている。気持ち悪い。お風呂に入らなきゃ、でも面倒だな、でも明日早いし、の堂々巡りで、結局彼から「楽しみにしてますわ、おやすみなさい」とラインがくるまでうたたねをした。


***


 わたしはいったい何がしたかったのだろうか。
 ちいさな箱の中に拘束、というと聞こえは悪いが、要はドライブに連れ出しただけだ。初心者マークの取れないわたしの愛車を見て、「なんや、かいらしい色ですなあ、なまえさんらしいわ」と目を細めた彼に、年甲斐もなくどきんと胸を跳ねさせた。
 隣でいちいちいろんなことを口に出す彼は、きっと女の扱いがうまいオトコなのだろう。持って生まれた才能か、はたまたどこかで培ったのか。こうして気持ちよく一緒に過ごしながら、てのひらでころがされているような気がしてならない。


「ちょ、なまえさん、荒ないですか」
「だって初心者だもん」
「ビギナーならもおちょい、慎重にならなあかんのとちゃいますか」


 笑いながら、それでもシートベルトを締めないあたり、本気で怖がっているのではないだろう。わたしの方が怖いから、そこはちゃんとしてほしい。


「なまえさん今、何してはるん」
「おべんきょ。化学ばっかやってるよ」
「はあー、遠い世界やわ」


 大学かあ、とぼやいて、窓にピンク頭を預けた。それを横目で見て、ウインカーを出して、左折する。どっちのセリフよ、と、胸の内で、吐き捨てる。
 バイト中に、店員と客として、出会っただけ。わたしはいち大学生で、彼は高校生で、だけど、わたしの知らない世界で、わたしには想像もつかないようなことをして、暮らしている。高校と大学の違いなんてちっぽけに見えるほど、その差は大きい。


「おべんきょ、教えてくださいよお。俺やばいんすわ、ほんまに」
「わたしなんかで務まるかね」
「十分すぎますって。なまえさんのおうち、お邪魔したいし」


 にたりと笑って言う彼を、「こら」と牽制しなければならないのが、苦しい。素直に、きてよ、と頬を染めて言ってしまいたい。


「一人暮らしの女の子の警戒心舐めないでよ。まだ友達しか上げてないんだから」
「ほんまですか、それ」


 さっきまでとは違って、わたしの横顔をまっすぐに見つめて、言っているのが分かった。「友達って、女の子だけですか」「そりゃあね」「ほんまですか」「だから、ほんとだって」いつもと違う声色に、ちょっとだけぞくっとして、ハンドルを握りなおす。


「どうしたの廉造ちゃん、おかしいよ」


 信号にかかって、停まってすぐに、はっきりと口にした。言わないと何か、間違いが起きてしまいそうで、こわかった。エアコンの音が響く車内で、彼は、わたしから少しも目をそらさない。


「なまえさん、好きです」


 これが喧噪のある中だったら、流せたのに、このせまい箱の中では、そうもいかない。信号はまだ、赤いままだ。何もしないでいるのがいたたまれなくて、息苦しくて、必要もないのに髪を耳にかけた。


「なに、急に」
「急なんかじゃおまへん。はじめっからや」
「はじめ、って」
「会うたときから」


 真剣な目と、「どっか停めて」という言葉に逆らえず、適当なところに車を寄せる。冷や汗をかいているのが、自分でもわかる。


「なまえさん」


 眉を下げて、迷子みたいな顔をして、ずるいひとだ。これでわたしよりもいくつも若いのだから末恐ろしい。ふるえるくちびるを開いて、とっさに飛び出した言葉は、「た、誕生日おめでとう」だった。


「は」
「誕生日、でしょ、今日」
「はあ、まあ、そうですけども」


 気の抜けたように、目をまあるくして、それから、息をもらすように、ふにゃりと笑った。


「ずるいわあ、ほんま」


 顎を掴まれて、顔を近づけられて、それから。
 一瞬だった。びっくりしすぎて、頬を張る暇もなかった。


「ほしかったんとは、違おたけど。それよりとんでもないモン、貰えました」


 嬉しそうに笑う彼の、腕の中に、素直に飛び込めたら、どれだけしあわせだろうか。考えるよりも先に、その長い腕が、わたしのからだを囲って、やさしく縛る。


「なまえさん」
「はい」
「好きです」
「……はい」
「なまえさんも、そうなら、俺もう、何もいりません」


 絞り出された声が、わたしの予想していたのよりも数倍切なげで、たまらなくなって、背中を、そうっと抱きしめる。
 もう戻れない。
 ばくばくばくばく。心臓がうるさくて、でもそれは彼も同じで、なんだか泣きそうになってしまう。十五年前、彼がこの世に生を受けたのだという事実が、いとおしくてたまらなくなる。


「廉造ちゃん」


 すき、と、声に出してしまえば、どうして今までためらっていたのか、ばかばかしくなる。このまま一緒にいられるなら、何をうしなっても構わない、と、思ってしまったのだ。わたしを手放すまいと掻き抱くその腕が、熱のこもった吐息が、ぜんぶ、わたしのために、必死になっている。
 もうなにもいらない。もうなにも、いらない。ずっとこのままで。空はもうとっくに暗くなっていて、そろそろ彼をおうちに帰さなければいけないし、わたしも、明日の朝はゆっくりできないけど、そのすべてかなぐりすてて、彼と一緒にいたい。
 せめて、今ぐらいは、いいだろう。
 カーオーディオから流れる音楽のチープさも気にならないほど、わたしは彼でいっぱいで、彼もまた、わたしでいっぱいだった。



―――
志摩くん誕生日おめでとう


 




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